デニロ

その人は女教師のデニロのレビュー・感想・評価

その人は女教師(1970年製作の映画)
2.5
1970年製作公開。脚本宮内婦貴子。監督出目昌伸。何で三島が舞台なのかと思っていたら宮内富貴子が三島生まれなのだそうだ。三島愛なんだろうか。しか―し!三島に「どん底」はないぞ、と映画の魔法に憤る。

1969年10月21日国際反戦デー新宿騒乱の日。徒党を組んでデモに参加した三島の高校生竹内亮/三船史郎が、機動隊に追われて仲間とはぐれた丁度その時、人気のない深夜の新宿の高速道路の下をカツカツと靴音をたててミニのワンピースの女が歩いてくる。/助けてください。/竹内亮の後を追っているのか足音が近づく。女は少年を抱き寄せくちびるを合わせる。警察官が通り過ぎ、私服刑事がふたりを横目で見遣り通り過ぎる。/行ったわ。もう大丈夫。/女が何故ひとり、騒乱が予想されていた新宿の夜を歩いていた意味は分かりません。

その女と出会って以後、♬/ああ 私のハートは ストップモーション/あなたに出逢った まぶしさに/♬(私のハートは ストップモーション/詞:竜真知子)状態に陥った竹内亮は、三島の高校に戻っても活動家仲間と疎遠になっていく。10.21の最終集合場所に遅れて現れた彼の姿に仲間たちは安堵したのだが、その時の、女性に助けてもらったんだ、という彼の声の質感を同級生の髙林由紀子は覚えている。もしやするとその女性が原因なのでは。

そんな頃、竹内亮の前に新宿の女が現れる。数学の教師として赴任してきた速水マキ/岩下志麻だ。♬ /出逢いは スローモーション/軽いめまい 誘うほどに/出逢いは スローモーション/瞳の中 映るひと/ ♬(スローモーション/詞:来生えつこ)もはや夢幻かと諦めていたくちびるが目の前に立っている。高校生は勝手に舞い上がり欲情してしまいます。それはそれで高校生の劣情を分からぬわけではありませんが、演じる三船史郎があまりにもヘタ過ぎて観てはいられません。お顔の造作も堂々たる鬱陶しさで長時間観てはいられません。父親がよくも出演を許したものだと思うところです。

新宿の女が何で三島の高校に赴任したのかというと、岩下志麻はかつて全共闘の闘士で、彼女の経歴を以てして今燃え滾っている高校生の政治の季節を、毒を以て毒を制してしまおう、という校長の指導方針によるものの様です。全共闘?60年安保の挫折組かと思いましたよ。当時岩下志麻は29歳だったそうで、当時のその年齢は今のそれとはかなり違っていてきゃぴきゃぴしておりません。よく言えば落ち着いた年増の雰囲気です。それなので全共闘と聞いて、違うだろうと。

彼女のプロフィールを知った活動家の生徒がいきり立って現在における彼女の政治姿勢を問い質したのは言うまでもありません。活動家の夜郎自大なもの言いに、今の僕たちに必要なのは授業の継続だ、と反発する生徒もいたり、教室は混乱してくるのですが、もはや目がトチ狂っている三船史郎の思念は全く別の次元に飛んでいます。あの時先生が僕にKissをした意味を教えてください。彼を秘かに思っている(多分)同級生髙林由紀子は脱力します。彼がダメになったのはやっぱりこの女のせいなんだわ。許せない。クラスのカオスが放り出されて、この映画は何を言いたいのか分からなくなります。無論、学生運動の闘士だった岩下志麻は、今は数学の授業です、と般若の様相で言い放つのですが。

自身の日常に纏わりつくストーカー少年をいつしか受け入れる岩下志麻。もはや、彼女の行動は何やらよく分かりません。活動家時代に愛し合っていた男の転向で彼女も戦線を離れるというような失われた青春のようなエピソードが挿入されます。はぁ。そして、いつしかふたりは亮、マキと呼び合う仲になり、湖畔の別荘で情を交わします。けっ。

そもそも岩下志麻に息子の傷を癒してやってくれなんぞと言って、学業をエスケープした息子を連れ戻させる役目を学校の実力者として命じておきながら、いざ息子が岩下志麻と懇ろになって家を飛び出すと慌てふためき警察署長に相談したりする。警察署長もとんでもない奴で、未成年者誘拐だね、告訴しなさいよ、と囁く。

いやはや怒涛の展開で、岩下志麻は逮捕され、三船史郎が警察にかくかくしかじかでふたりの図り事ではありませんと申し立てても、親告罪だから父親が取り下げない限りはねえ、と取り合わず、じゃ、死にます、と死んでしまう。

ラストで三船史郎の学友たちの大人たちに対するささやかな抵抗の姿を描きますが、少し恥ずかしい。泣きたくなります。

国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(2)――1970-1980年代(宮内婦貴子)にて
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