砂場

宗方姉妹の砂場のレビュー・感想・評価

宗方姉妹(1950年製作の映画)
4.7
先月ふと思い立って「東京暮色」を久しぶりに再見したら凄すぎて結局トーキー時代の小津映画を全部とサイレント数本を観てしまった、、、
考えてみればこんなに集中的に小津を観たこともないし、初見のも多かったのでなかなか楽しい体験。

「宗方姉妹」、、これまた強烈な一本であった❗️
とりあえずトーキー全作品を取り上げたので小津まとめてレビューはこれで終わり

まずはあらすじから


ーーーあらすじーーー
■医学部の授業、動物実験のうさぎの耳にガンを移植する話
内田教授(斎藤達雄)は若い女性に父親の病状を伝えている、お父さんかなり悪いんだよ、節ちゃんがっかりしないで、あと半年か一年だろう
■父(笠智衆)、長女節子(田中絹代)、次女満里子(高峰秀子)
保守的な節子に比べ、満里子は自由に振る舞っている
寺で弁当を食べる姉妹、妹はあたし嫌いだなあお寺、どうしてこうたくさんのお寺があるの?法隆寺も行きたくない〜
■満里子は姉の友達の宏(上原謙)が気になる様子、奥さんはいるの?
満里子は姉の日記を密かに読んでいた、それには宏とのささやかな交流
が書かれていた。満里子は男のナレーター風の口真似で宏と節子の
物語を大袈裟に演じるのであった。その物語には満里子も
登場したのであった
■宏がフランス🇫🇷で知り合った女性真下頼子(高杉早苗)が訪問
バッハのコンサートが取れたの、遅れないでね
満里子はあんな気取った人、内緒事みたいな匂いで嫌いという
■節子はバー・アカシアを切り盛りしていた、時々満里子は手伝っていた
■節子の夫三村亮助(山村聡)は洋書を読んでいる、妻にも満里子にも
偏屈で意地悪な対応。仕事がなく周囲に当たり散らしている
お兄さんあたしの牛乳猫に飲ませたのよ、去年酔っ払って帰ってきてから態度が変、きっとお兄さんお姉さんの日記読んだのよ、
あなたはどうして人の日記見たの??それは、、
宏さんのこと、、どして結婚しなかったの?分からなかったのよ好きかどうか、そうしたらフランスに行ってしまったし
■亮助は寂れた飲み屋、店員からは先生と呼ばれている。
なんであんな綺麗な奥さんが先生のどこがいいのか、不人情なところがいいんだ、
■宏の家、満里子はバレエ行ったの、どっか連れてって、でもお金ない
いいよ、その時箱根の真下様から電話☎︎
満里子が勝手に電話に出てしまう、宏は軽井沢に行ったと嘘をつく
真下頼子は宏と泊まろうと思っていたのでしたかなく箱根を早く切り上げる
■満里子は酔って帰ってきて、映画に行って帰りに結構飲んだ、お兄さんの顔見たくない
姉の節子は、でもそんなもんじゃないの、夫婦って、つまんなくない、古い考え方、古い、古い〜
あたしそんなに古い?あんたの新しいってどう言うこと?
いつまで経っても古くならないこと、これが新しいことなのよ
■満里子と父は庭でウグイスを見ている、あ、うんこした、、ほーほけきょ
■宏の家、満里子は少し酔っている
節子さんを幸福にする自信がなかったんだ、なんでお姉さんに先に好きだって言わなかったの?ねえ、満里子と結婚して、、大好き、、してくれる、どうしてそんなこと言うんだ、満里子泣いちゃう!
■真下に会いに行く満里子、わたし結婚申し込んだんです、でもお姉さんなんて言うかしら
ひろしさんのどこが好き?嫌いなところは、、、やなやつ、大っ嫌い、プイッと出て行く
■亮助は妻節子に店の方は大丈夫か?金は借りれたのか?
田代に借りたのか?、いつ?、、どうして俺に言わなかった、、なぜ言わないんだ、あなたは私が田代さんと間違いでも起こしたって疑うの?、お店やめようと思います、
■満里子は先日の結婚してという件は芝居だといい、お姉さんがお店辞めるって、日比谷公園で会ってねと宏に頼む
■満里子はバーテンと飲んでいる、飲め飲め特攻隊!、このプロペラ!、、
そこに亮助が来た、一杯もらおうか、前島さん帰っていいよバーテンを帰す
満里子は亮助が仕事もせずぶらぶらしていることを責める、仕事探せ、ないもんはない、、ぶらぶらも、捨てがたいもんだ、、
亮助はグラスを壁に投げつけ、ははははと笑う、満里子も次々グラスを割る
壁にはI Drink Upon Occasion Sometimes Upon No Occasion - Don Quixote
■亮助は節子にお前の気持ちを言う、別れた方がいいか、節子はそんな気持ちでわたしを、一度だって別れるなんて考えてない
そんな節子に激昂した亮助は、6発平手で殴り出てゆく、
満里子は泣きながら姉に、もう別れていい、お姉さんがもったいない、、


<💢以下ネタバレあり💢>
■節子は宏の家、苦労したね、何にもならない苦労でしたわ
大変立派になった、キスしそうになる二人、そこに亮助が、、しばらくぶり、以前から希望していたダムを作る仕事が決まった、勤務先に節子も呼ぶつもりだった、宏は亮助と話し合おうとしたが、いつの間にか亮助は出ていった外は大雨
■行きつけの飲み屋で亮助は泥酔、実に愉快だ、女房は衆愚の代表だ、男は道具だ洗濯板だ、ずぶ濡れで帰宅した亮助、2階に上がる、倒れる音、満里子が見に行くと死んでいた、悲鳴をあげる満里子、、
■父は散髪している、節子人間て急に死ぬものかしら
真下頼子はもう宏とは会わないつもりだった。
■節子は宏に、三村の死に方はおかしい、といいこの気持ちでは宏に迷惑がかかると身を引く覚悟
宏はあなたにお目にかかれてよかった、待ってます、きっといつか、いいのよ、、これで
■満里子は姉の決断に今ひとつ納得がいかない、節子はこれでいいのよと言う
ーーーあらすじ終わりーーー



🎥🎥🎥
新東宝制作の本作、小津の中ではキャラ作り、サスペンス要素がかなり強調されている異色作と言える。
まず高峰秀子がすごい!ベロを出したり、バレエ踊ったり、アナウンサー口調だったり、突然歌ったり、ウグイス見て「あ、うんこした」と言ったり、ベロベロに酔ったり、、、
「淑女は何を忘れたか」の桑野通子の流れを受け継ぐような自由奔放キャラだ。
素晴らしく魅力的なキャラなのだが、高峰秀子もこれ一作、桑野通子も以降小津映画ではそんなに活躍していないのが残念。いわゆる小津調の世界の中では収まりにくいキャラということなのだろうが、二人ともどこに飛んでいくのか分からないエネルギーが作品にダイナミズムを与えている。

山村聡演じる亮助も異形の不気味キャラで、ふらりとバーに現れるシルエットなどはヒッチコックの「下宿人」のようなサスペンス感覚。
インテリであるが仕事もせずフラフラと、妻に養われておりその妻に逆ギレして平手で引っ叩く(6回も!)などクズ男なのであった。
大雨に打たれ、家に帰ってバタリと倒れそのままあの世行き、死後も妻を不気味に縛り付ける
亮助の死を象徴するのは大雨である。
小津映画と雨といえば、蓮實重彦と撮影の厚田雄春の対談で厚田さんは一度も小津で雨を撮ったことがなかったと言っていた。トーキー以降小津映画で雨というと新東宝の「宗方姉妹」と大映の「浮草」くらいか。
余談だけど最近の日本映画とか韓国映画見ていると大雨の中で絶叫する演出をよく見る気がするが、あんまり使いすぎると効果が薄れるよなあ。小津のようにいざ!というときに使うと効果は絶大なのであった。

満里子(高峰秀子)は新し物好きで自由奔放、節子(田中絹代)は古い価値観を重視し耐え忍ぶタイプと明確に書き分けられている。
個人的にはこの二人は小津の二面性を表しているのではないかと思う。
小津自身アメリカ映画好きなモダニストである一方で、かなり封建的な家族感を持っているところがある。相矛盾するような感性が小津の中に同居しているのだ。

満里子は寺なんて大っ嫌いといい、節子は法隆寺の思い出を語る。
坂口安吾はエッセイ『日本文化私観』で「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」と書く一方で、「我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである」と書いている。
まあ安吾の言い方は極端なアフォリズムなところはあると思うが、彼にとって日本文化というのは伝統的な形などではなく、利便性とか猥雑さ含めた日常生活の実相そのものであったということだ。

安吾はいう「月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか」

まさにこの映画では、バーのネオンサインが光っている。満里子は自由に軽やかに飛翔する、節子は耐え忍ぶ、別に小津はどちらが正解とも言っていない。父は散髪している。小津にとっての日本文化は安吾のいうような生活の実相そのものだったのではないだろうか。

本作以降は飛翔と忍耐という二項対立構造は見られなくなり、いわゆる小津調というトーンの中でミクロな日常の実相が描かれることになる。
ただそれは飛翔と忍耐というテーマが小津の中で忘れ去られたわけではなく、日常の実相のなかに溶け込んで常に残り続けているという風に描き方が変わっていったのだろう
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