亘

トムボーイの亘のレビュー・感想・評価

トムボーイ(2011年製作の映画)
3.7
【"自分"でいられた時間】
ロールは短髪でいつも半袖短パンでアクティブな少女。新学年を前に少女ロールは家族と共に新しい町へと引っ越す。元々男の子と遊ぶことの多かったロールは、町で初めて出会った少女リザに「ミカエル」という男子の名を答える。それからずっとミカエルとして遊んでいたがある時、親にミカエルと名乗っていたことがバレてしまう。

[ロールの性自認]
個人的な考えでは、ロールはトランスジェンダーではなくてそもそも性自認が固まっていないような状態だと思う。性自認は思春期の頃に確立するとされている一方でLGBTQのQ(クエスチョン)として不明なままの人もいる。ロールでいえば、体は女の子だけど見た目は少年で男の子と一緒に遊ぶ方が楽しい。だからと言ってロールが自分を男として考えているのか、女の体が嫌なのか、男になりたいのかということは作中からは分からない。

個人的にはミカエルと名乗ったのは新しい男の子グループに入りやすいためで、粘土のシーンや唾吐きのシーン、自分の体を気にするシーンとかもその男子グループに同化するため、バレて仲間外れにされないためだと思う。ローラの行動から単純に「ローラは男ミカエルになりたいんだ」としてトランスジェンダーに決めつけることもまた「男/女」の二元思考に陥ってるようにも思う。どっちつかずな割り切れない姿こそロール自身なんだろうし、これから自身のセクシュアリティやジェンダーに向き合っていく中で気づくと思う。

[周囲の無理解]
ロールとは対照的に、周囲の人々は自らの性別について特にストレスを感じていない様子。男の子たちはみんないわゆる”男の子らしい”遊びにいそしみ、リザは男の子たちと遊ぶが必ずしも乗り気なわけじゃない。女の子らしく化粧したりしていて女の子であることを受け入れている。彼らは、特に自分の性自認に違和感がなかったというより社会の「男/女」の二元システムをそのまま受け入れているだけなのかもしれない。そしてきっと親や学校でも同様に教えられてきたからこそ、ロールが女の子だと明かされたときに、性別を偽る理由や女子同士でキスすることを理解できずにひどい仕打ちをしたのだろう。

そして不幸だったのはロールの母親が性自認の問題に無理解だったこと。無理やり"女性らしい"ワンピースを着せるのだ。これは体が女性なのだからそのまま性自認も女性であると考え、さらには”女性らしく”あるべきという固まった考えの押し付けだろう。しかし学校が始まれば、ロールとして通わなければならない。学校では便宜上二元システムを適用して女子として扱われることになるわけで、母親はそのことを友達に分からせようとしたのかもしれない。

一方でラストシーンでリザが戻ってきたことは光明である。リザは一度はロールから離れたもののまた戻ってきた。リザの淡い恋がそのまま維持されるのかは不明確だけど、ラストシーンのやり取りはロールを友人として純粋に受け入れたことを表している。リザは良き理解者になるに違いない。

本作の設定は「新しい町での新学年前の夏休み」である。引っ越してきたばかりのロールは学校の名簿に組み込まれていない。つまりこの町の小学生でもあり、完全にそうではないのだ。このどっちつかずな自由な時間は、ロールの性自認とリンクしていると思う。もちろん水着のシーンだったり配慮することは多かったけど、ミカエルとして過ごせた時間は、ロールにとってはある意味”自分”でいられた時間だったのかもしれない。

印象に残ったシーン:リザがロールの元に戻ってくるシーン。
亘