天馬トビオ

二十歳の原点の天馬トビオのレビュー・感想・評価

二十歳の原点(1973年製作の映画)
3.0
映画は、撮影時(1973年)の京都の雑踏シーンから始まる。街を行き交うお洒落で屈託のない笑顔で語り合う女子大生たち。物語はわずか4年前の出来事なのに、そのギャップ、彼我の違いを端的に描いているオープニングだ。

原作は言わずと知れた高野悦子さんの日記。映画は、学園紛争後の挫折感や焦燥、家族との軋轢、失恋など、理想と現実のはざまで揺れ動いた高野さんの最後の半年間を、日記をもとにほぼ忠実に描いている。

ただ映画は万人に向けた娯楽媒体なので、あの頃、京都で一人の女子大生だった高野さんの内面――彼女が何に悩み、何を求め、何に傷ついたのかといった精神的葛藤よりは、恋愛問題に悩み傷つく姿が強調されている。

幼い憧れを抱く大学の先輩アジリーダー、アルバイト先の大人の男性への愛情、心ならずも体を許す同世代の青年。三人の男への恋愛遊戯に翻弄された彼女の一面だけばかりが強調されていて、なぜ彼女がみずから死を選ばなくてはななかったのか、真摯に生きたゆえの結果がなぜ自死なのか、という部分をもっと掘り下げてほしかった。陳腐な男性遍歴、失恋譚にならなかったことは良かったが、どうしてもそのあたりがもやもやしてしまう。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」――高野さんの思いを表わしたこの一節を映像化するのは難しいのだろうか。

それにしても、当時の東宝でこの企画を通したスタッフには頭が下がる。また、違和感なく60年代の女子大生に扮した角ゆり子もいい。ナップザックを背負って原始林を彷徨い、煙草を喫い終えて湖をただよう、という高野さんの詩の一節を再現したシーンの美しさも忘れられない。
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