Kamiyo

キューポラのある街のKamiyoのレビュー・感想・評価

キューポラのある街(1962年製作の映画)
4.0
1962年”キューポラのある街” 監督浦山桐郎、 主演吉永小百合

浦山桐朗さんは ”青春の門”大竹しのぶ主演のも作品でしたね 観ました 
当時は五木寛之の小説はブームで、そこにも朝鮮人の問題が出てきます

この作品は有名なのですが 初見です、
僕はサユリストではないのですが、
僕らのお兄ちゃん世代がサユリストが多かった よう
弟役タカユキ(市川好郎)と同世代
僕が生まれた頃と同じような時代。
あんな事もあったなぁ〜と懐かしい感覚が...。
生きるためにみな頑張っている。

高度成長時代 
60年前の日本 まさにタイムスリップしたような「貧困」
と言うより「貧乏」と称した方がぴったりくるような人々の営み。
どんなに時代考証に工夫を凝らしてもCGを駆使しても決して
再現不能な30年代の「昭和」が画面いっぱいに息づいている。
身につまされて、泣けて仕方なかった。

舞台は、中小の鋳物工場(こうば)の煙突が林立する埼玉県川口市。
工場では、鋳物を作るために溶銑炉(ようせんろ)を使って鉄を溶かす。その銑鉄を溶かすのに用いる円筒形の直立炉のことを
キューポラというのだそうだ。
主人公の石黒ジュン(吉永小百合)(当時17歳)は、中学三年生で、修学旅行を目前にひかえ、さらに名門埼玉県立第一高等学校への進学を目指して、張り切っている。
勉強もスポーツもできる、勝ち気な明るい子だ。
昔気質の鋳物職人である父の辰五郎(東野英治郎)が、
工場が買収され、人員整理の為解雇される。
ジュン友達の親に世話してもらった
新しい職場オートメーション化された
システムになじめず、すぐにやめてしまい
競輪と酒で、手元のわずかな金も使い果たしてしまう。
母のトミ(杉山徳子)は、飲み屋で日銭をかせぐが酔っぱらい相手の
母の仕事姿を見たジュンはその痴態に大きな失望を味わい
修学旅行も行かず、
何もかもいやになって学校へも行かなくなってしまう。
ジュンは、担任の野田先生(加藤武)がいい先生で
ジュンの将来ついて真剣に相談に乗りながら励ましたりしながら
働きながら定時制高校へ進む道を選ぶ。

ジュンが、パチンコ屋でアルバイトをしていた時の在日朝鮮人の
親友金山ヨシエ(鈴木光子)は、当時の北朝鮮への帰国運動で父や弟ともに、北朝鮮行ってしまう。悲しいなぁ・・・

昔のパチンコ屋が懐かしい。当時、パチンコ台は手打ちのバネで
店の家族や従業員が、台の裏で玉の補給をしていた。
ジュンの弟、小学六年のタカユキと、ヨシエの弟サンキチが親分子分の間柄で、いつもつるんで遊んでいる。伝書鳩を飼ったり、袋いっぱいのビー玉を餞別に渡したり、この二人が、当時の男の子たちの雰囲気をよく出していた。
ジュン(吉永小百合)沼地に咲く一輪の花のような。
聡明で気が強くて可愛らしくて健気で何よりまっすぐで一生懸命な姿。
口紅をふき取るシーンや全力で必死で走るところ
子どもが子どもらしく「むすめさん」と言う言葉のニュアンスが
きっちり体現されている。
演じていると言うより殆ど同化しているように
17歳より幼く感じられ、本当の中学三年生みたいだ。

ジュンの弟タカユキとその友達で在日朝鮮人の
サンキチの友情が生き生きと描かれています
帰還事業で列車に乗り込む朝鮮人集団も
新国家建設の意気と希望に満ちている
そう未来への希望に満ち溢れたものだ
しかし、21世紀の我々はその後どうなるのか
その結末までを全て知ってしまっている

そして北朝鮮に帰った朝鮮人達の悲惨な末路
それにまして朝鮮人の夫についていった日本人妻達や
その子供達の筆舌に尽くし難い辛苦を舐め尽くして
未だに苦しんでいることを知っている
ともあれ映画には何の責任もない
むしろ、その時代の空気を見事に切り取っている佳作と言える

浜田光夫がジュンの父(東野英治郎)勤務する工場の組合員で
父ため一生懸命頑張って会社と交渉しますが 最後に再雇用
されのですが この後は 吉永小百合とコンビなるのです。
 
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