デニロ

晩菊のデニロのレビュー・感想・評価

晩菊(1954年製作の映画)
3.5
おもい人上原謙の来訪の手紙を胸にこころときめかせる杉村春子。因業な金貸し、土地ころがし屋の彼女も、♪愛という字書いてみては ふるえてたあの頃 浅い夢だから 胸を離れない♪(詞:村下孝蔵)なんて、彼の写真を眺めつつ呟いてみたいものなのだ。訪れた上原謙に破顔一笑で迎えます。差しつ差されつあれやこれや思い出話に花を咲かせながらも、やはり仕事柄か人を観察してしまいます。あら、なんだか萎れた感じの背広だわね、ワイシャツもパリッとしてないわ、こころの中で怪しんできます。何しに来たのかしら。いつまで居るつもりよ。徐々に夢から現に変わってくるのです。事業がね、思うように、・・・・・あら、始まった。どうせこんなことでしょうよ。酔ってなんかいられないわ。早く追い出さなくっちゃ。腹の探り合い。失敗者と成功者じゃ勝負になりません。

そんなふたりの思い出話に、柴又の川甚で鰻を食べたね、とあって、『男はつらいよ』でよく出てきましたよね、先年、廃業しましたよ、と頭の中で教えてあげる。

そんな杉村春子を観て思い出した人がいる。大分前、先輩に八重洲の日本酒の銘柄を大量にストックしている居酒屋に連れて行かれた。居酒屋といっても食べ物は、塩茹での野菜が提供されるだけ。ジャガイモ、ニンジン、キャベツと順番に。女将に、これ別々に茹でて味変えてるでしょ、と言うと、そうなのよ、きれいに食べてくれてありがとね、などと話が弾む。昭和39年にこのお店開業して、もうここで40年以上よ、と。その時女将は80歳とか言っていたので開業した当時は、きっと色気たっぷりだったでしょ。そんなこんなして高い酒を飲んでると、あなたあなた、と呼ばれて行くと、酒蔵を見せてくれた。特別よ、と。特別って言われてもねえ。

さて、女将が東京オリンピック前に何をしていたのかは知らないが、その後は小さいながらも一国一城を長く守り続けてきたのだから、杉村春子の様にあんなものを振り切ったりこんなものを袖にしたりしてきたのかもしれない。男も子どもも頼りにしない。お金があれば何とか生きていける。そうやって生きていくんだと、いつか決心したのかもしれない。彼女の青春は、青色も春色もなく戦争の一色だったのかもしれない。/わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり/卑屈な町をのし歩いた(茨木のり子/わたしが一番きれいだったとき)/そんな時代の申し子なのかもしれない。

杉村春子、望月優子、細川ちか子。芸者仲間でその昔はブイブイと鳴らしていた由。今や金貸し、旅館の雑役婦、掃除婦と経済格差がついてしまう。昔はわたしのほうが売れっ妓だったのよ、と愚痴ってみたり、あの因業と悪口を言ってみたり。

彼女たちを観ながら、♪ジャマイカあたりのstepで♪(モンロー・ウォーク/南佳孝)八重洲を闊歩している若き日の女将を想う。

1954年製作公開。原作林芙美子。脚色田中澄江 、井手俊郎。監督成瀬巳喜男。

神保町シアター 林芙美子生誕120年記念 林芙美子と壺井栄――映画で愉しむ女流文学の世界 にて
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