せびたん

昭和残侠伝 唐獅子牡丹のせびたんのレビュー・感想・評価

昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年製作の映画)
3.2

「明治侠客伝3代目襲名」の鶴田浩二のストイックさと比べますと本作の主人公秀次郎さん(高倉健)は、少し情に流されすぎて義理がおろそかになってるっぽい雰囲気ありました。そのせいか筋を通せてない感があり、物語が少しだけぐだぐだになってましたけど映像は迫力があってよかったです。

例えば崖から岩を落とすシーンがあるんですが、ぶっちゃけ崖を岩が転がり落ちてるだけなのにめちゃめちゃ迫力あってビックリしました。なんやこれ?どうなってるんや?て思いましたわ。
これ、岩が落ちてるだけやで?
え、なんで?
みたいな(←CGじゃないからか?)。

また冒頭の決闘シーン、クライマックスの高倉健と池部良のやりとりは、どちらも名シーンかと。

クライマックスでは高倉健が「死んで貰います」って早口の丁寧語でボソボソ言ってからラスボスを倒してましたけど、その時のヤバい人感はホラーでした。
この台詞、てっきり大見栄切りながら言うもんだと思ってたけど違うんですね。めっちゃ怖いわ。「風呂入ってきます」くらいの普通のテンションで言うてるやん。

戦闘シーン?殺陣のシーンはいつも時間的に夜で、暗闇の中で命の取り合いが行われるということに、この人達の生き様が象徴されてるんだろうなと思いました。さらに人間の心を象徴してるとも言えそうなっ!(知らんけど😀)

まあでも、なんかめちゃ高度な表現がいろいろ行われてた気がしましたわ。
説明しすぎない美学もありました。
想像の余地を残すことで、観客ひとりひとりの中に別の映画が育っていくというか。
想像することを求められるんで、そういうの嫌いな人には向いてないです。つまり今風ではないんでしょうね。題材的にも手法的にも。

私も侠客映画は昔は好きじゃなかったんですが、今回何本か見てみましたら、不思議と嫌悪感なく見れましたわ。
時が経ち、ここで描かれる世界と今の日本が地続きになってる気がまったくしなくなってるせいかも。こういう世界がなくなったのか、うちらの日常から見えなくなってるだけかは知らんけどさ。
前に見たのはまだ若い頃で、この世界と現実世界はまだ繋がってるという感覚があったもんなぁ。

今では、もはや異世界もの?
ダンまちみたいなもんちゃいますかこれ(←適当w)

話を戻してまだ続けますけど…。

本作の製作当時よりずっと資本主義が浸透し、資本主義に対する理解が深まった現代に生きる私には、悪役である資本家の言い分のほうが分かりやすい場面があるというのも事実なんですわ。侠客映画の悪役は資本家で(カタギ+新時代のヤクザ)、主人公側は昔ながらの零細企業(古い時代のしきたりを守るヤクザなんだけど、清く正しく美しい古い時代の善良な日本人として描かれている)なんですが、この映画内の資本家は「ちょっと本音をストレートに言いすぎなパワハラ気質の昭和チックな中小企業の社長」にしか見えないんですよね、今の時代からだと。本音吐きすぎなタイプのパワハラ社長と言いますか😅

さらにはその程度の言い分でライバル会社の人間を次々と殺す必要は全然ないのに殺しちゃうので、ぶっちゃけかなりなサイコパスに見えるんで、ちゃんと悪役として成立してました。

のしあがって行きたい中小企業の経営者が、大手建設企業からの受注を取るために、ライバルである零細企業の人の命を狙うか?という話です(とはいえ自分の利益のために人の命を狙うというのは人間の本能が関係していることなんで、なくならないはず。今も社会的生命なら、よく狙われるよね)。

こんなふうに、私はたぶん当時熱狂してた人達と違う楽しみ方をしてると思うけど、まあまあおもしろかったです。
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