櫻イミト

大地の櫻イミトのレビュー・感想・評価

大地(1930年製作の映画)
4.0
「戦艦ポチョムキン」(1925)と並んでソ連のサイレント映画を代表するとされる名作。ボリス・バルネット監督作と同じく現ウクライナの映画。個人的には異形の傑作。

ウクライナの農村。大地の中で家族に見守られ一人の老人が永遠の眠りにつく。孫のワシーリーは労働の集団化運動の先頭に立ち、馬からトラクターへと農作業の機械化を進める。しかし、集団化に反対する富農の若者がある夜ワシーリーを襲った。。。

冒頭の風にのって翔んでいく魂、そしてクライマックスの暴走に度肝を抜かれた。なんと五場面並列のモンタージュを決行している。葬列から始まる指導者の演説をベースに、孤立した殺人者、教会の神父、全裸で狂う恋人、母の出産、が矢継ぎ早に切り返されていく。そしてシーンは映画冒頭の大地へと円環し生のサイクルが示される。

物語としては共産主義プロパガンダ的で、トラクターの神格化は前年のエイゼンシュタイン監督「全線」(1929)とも共通しているが、アプローチは違う。本作のメインテーマは“ロシアの大地”への礼賛である。冒頭から大地に根差した死生観が描かれる。続いて救世主として村人たちの前に現れるのがトラクターで、一瞬の違和感を感じるが、水分不足で停まったところを皆で小便をかけて復活させる下りに大地崇拝への通過儀礼的なものを感じさせる。最終的にはキリスト教神父の存在が否定され、上位概念としての共産主義と大地礼賛が、狂気じみた五並列モンタージュの中で融合を果たす。少々強引さも感じるが、映画としてはかなり面白かった。この異形さは嫌いではないし比類のない傑作だと思う。

イデオロギーよりも情念という作風はエイゼンシュタイン監督と共通する。しかし、その先走った熱さはアベル・ガンス監督を思わせる。「エイゼンシュタインは叙事詩的で、ドヴジェンコは抒情詩的である」と言われていて、まさしくその通りに感じた。

しかし当時、本作は「反革命」と批判され、小便および全裸女性のショットは削除、以降ドヴジェンコ監督は抒情詩的な表現を断念することになったとのこと。

本作の直前に同時期のアメリカのサイレント「群衆」(1928)を観たので、お国柄の違いが如実に判り興味深かった。“大衆”の捉え方が、アメリカの場合は“庶民”であり、ソ連の場合は“同志”となる。

※ロシア映画「動くな、死ね、甦れ!」(1989)の全裸女性にはとまどったものだが、おそらくは本作が元ネタであり、オマージュだと考えると腑に落ちる。

※サイレント時代のソ連の監督
フセヴォロド・プドフキン1893生
オレクサンドル・ドヴジェンコ1894生
セルゲイ・エイゼンシュテイン1898生
ボリス・バルネット1902生
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