亘

マイライフ・アズ・ア・ドッグの亘のレビュー・感想・評価

4.0
【悲しみの捉え方】
少年イングマルは大好きな母親と犬のシッカン、そして意地悪な兄と暮らしていた。しかし母親の病気が悪化すると田舎の親戚の家に1人預けられる。辛いことがあると彼は不遇な運命をたどったソ連のライカ犬を思い浮かべ心を鎮めるのだった。

少年イングマルの回顧を挟みながら、彼の深い悲しみと、成長を描いた作品。鋭く心に刺さるというよりも後からジワジワと良さが染みるような良作で、幼心に悲しみがどう響くのか思いをはせてしまう。

最終的にイングマルは大好きな母とシッカン両方を失ってしまう。それは彼にとっておそらく人生初めての深い悲しみである。それでも彼はライカ犬やより不憫な事故を思い浮かべて自分はまだ幸せだと距離を取ることで心を鎮めようとする。まだ幼い少年が、自分自身を相対化して悲しみを感じないようにするという状況も酷だと思う。それでもこれは性の目覚めと共にきっと彼にとって重要な成長点になるんだろうなとも思う。そしてイングマルを支える田舎町の人々の温かさや優しさも印象的。

イングマルは母親と兄と犬シッカンと共に暮らしていた。兄からはいじめられていたが、大好きな母とシッカンといれば彼は幸せだった。しかしそんな幸せは長く続かず、母親の病状悪化に伴い田舎町の親戚のもとに1人預けられる。これは初めての母やシッカンとの別離だった。

田舎町ではこれまで会ったことのない人々と出会う。親戚のグンナルとウッラ、女性用コルセットのカタログを音読させて興奮する寝たきりのおじいちゃん、一緒にサッカーをする少年たち、一輪車乗り、ガラス工房の職人たち、ヌードを描く芸術家、そしてスポーツ万能な少女サガ。一癖ある人々にイングマルは初め馴染めずにいた。それでも実はみんな素朴で優しかった。特に少年たちはすぐに彼を受け入れて一緒に遊び始める。とはいえ彼の心は実家の母とシッカンにあった。

そして田舎町での大きな出来事は、恋と性への目覚め。女性のおっぱいを見るために、芸術家がヌードデッサンの様子を覗こうとする。一方で少女サガの胸に布を巻くことはするけど大きくなってきた胸を触るかと言われれば恥ずかしがって触らない。性には目覚めつつも彼は優しいのだ。そしてサガのことが気になり始める。

そして母の病状がさらに悪化すると彼は母の最期を看取りに実家に戻る。大好きな母と会話するが母は具合が悪くイングマルとの会話を存分に楽しめなかったりする。それになぜか家にはシッカンがいない。その後母が亡くなると福祉委員の厳格な家庭に合わず彼は居場所を失くしてしまう。

ここから彼は深い悲しみに直面しライカ犬や不憫な事故に遭った人のことを頻繁に考え始める。ライカ犬は旧ソ連の宇宙船スプートニク2号に乗せられた犬のこと。ライカ犬は自分の運命を知らずに宇宙船に乗せられ、知らぬ間に宇宙船で死んでしまった。そして宇宙船は大気圏で粉々になった。そんなライカ犬に比べればイングマルは運がいいと考えようとしているのだ。

そして彼は再び田舎町に戻る。そこで直面したのはほかの人々の死だった。あのコルセットカタログの老人に近所のおばさんの夫。母の死とどこか重なる。この世には悲しみがあふれているのだ。さらにシッカンを取り戻すことをあきらめきれないイングマルにサガは「シッカンは死んだ」と放ち、ショックからイングマルは小屋で自分の殻に閉じこもってしまう。ここでの犬の吠え真似はシッカンへの想いと同時に自分をライカ犬に重ねて比較していることを表しているのだろう。こうしてイングマルは大好きな母もシッカンも失い生まれて初めての大きな悲しみに直面するのだ。

それでも彼が悲しみに暮れた翌朝、町の人々は何事もなかったかのように野次馬見物に集まって騒ぎ、サガはイングマルに寄り添う。母とシッカンはいなくても彼には素朴で楽しい町の人々がいるのだ。その後の春のシーンは、イングマルが悲しみから立ち直り成長した姿を見せていてほほえましくなった。ラストシーンでイングマルと同名のボクサー”イングマル・ヨハンソン”のチャンピオンに熱狂する町の人々は、悲しみを乗り越えた少年イングマルをたたえているようだった。

印象に残ったセリフ:「ライカ犬よりは運がいい」
印象に残ったシーン:イングマルがライカ犬のことを考えるシーン。イングマルが犬の吠え真似をするシーン。
亘