さいとぅおんぶりー

エロス+虐殺のさいとぅおんぶりーのレビュー・感想・評価

エロス+虐殺(1970年製作の映画)
4.5
3時間30分のロングバージョン視聴。
衒学的な台詞回しと形而上学的な問いかけに乱立する視覚的メタファーと複雑な相関関係、膨大な情報の波に圧倒され処理しきれないまま最初の30分が経過してしまい不安になり前提となる日蔭茶屋事件を調べてから再鑑賞。

無政府主義思想の男は自由恋愛を掲げたが身体的言語に属する性行為は論理に帰属しえず、「悦楽の本質は違反」であり恐怖の乗り越えであって恐怖が大きい程に歓喜は深い。
禁止が機能していなければエロティシズムはフリーセックスに行き着く他なく、自由恋愛は人間性の解放はおろか反体制的な効力も十全に発揮しえない。肉体的言語(身体性)を無視した結果弁証法的に決裂を生み出したのはある種当然の帰着であった。(禁欲的エロティシズムの概念としてキリスト教の聖アントニウスの描写が昭和パートで度々挿入されていた)

大正パートから始まった無政府主義思想は昭和に入り「物語りが無くなった戦後思想」の中で若者に強く共振し、全共闘運動という物語りを作り上げ革命に身を投じて「英雄的殉教」を夢想させたが若者は革命を達成する事は愚か死ぬ事すら叶えられないまま闘争は終わりを迎える。

人間は物語りに縛られなければ生きていけない性質を孕んでおり、物語りの中で死ぬからこそのフィルム首吊りであり自ら死ぬという欲求の中に崇高な生への憧れが表現されている。
つまり首吊りフィルムとは若者が夢想した物語りの中で彼岸に達する行為であると同時に全共闘運動における英雄的自決の成就を成していた。

バタイユやフロイトは自らの思想哲学で生への欲求とは「快感原則の彼岸」であり、エロス(性)とタナトス(死)は双方の二重性で成り立つと説いた、だからこそラストがタイトル通りのエロス+虐殺となる。

また一つ一つのショットが非常に前衛的で美しくナラティブに語られる説話構造の難解さと並走するように観客が享受する「視覚的快楽」がこの映画のテーマに説得力を持たせていた。
まるで白昼夢の中を漂う様な作品。