亘

ニーチェの馬の亘のレビュー・感想・評価

ニーチェの馬(2011年製作の映画)
4.5
【繰り返す虚無】
暴風吹き荒れる荒野にポツンと立つ一軒家。右腕の麻痺した農夫とその娘が暮らしていた。娯楽はなく食事はゆでたジャガイモだけ。そんな寂しい暮らしを続ける2人の前に外来者・水不足などさらなる危機が訪れる。

東欧の荒野に暮らす父娘の6日間を切り取った作品。本作はニーチェが精神を病む直前、御者に痛めつけられる馬を抱いて涙したという逸話に基づき、馬のその後を想像して描かれている。映像は美しいけれども、セリフは少なく大きな変化もない。さらには心を不安にさせるような音楽が流れ、静かに見る者の心を暗くする。眠くもなってしまうが、2人の惨めさと世界の無情さがひしひしと感じられて見る者の心に「生の意味」を問う傑作。

ニーチェの思想の大まかな流れとキーワードは以下のイメージ。
このうち本作では①~③をじっくりと描いている。ニーチェの理想は④の超人である。しかし父娘の姿はそれとは正反対である。"ニーチェの馬"はニーチェの理想に反した暮らしを送る父娘の元に戻るのだ。
①キリスト教・神の否定:「神は死んだ」
②終末観の否定・世界は繰り返す:永遠回帰
③どんな辛いことも繰り返す→虚無感と境遇への恨み:ニヒリズム・ルサンチマン
④だからこそ自ら望むように、「これが人生か、さればもう一度」と永遠回帰を肯定できるように生きてニヒリズム・ルサンチマンを克服しよう:超人・運命愛

父娘は毎日決まった暮らしをしている。朝は井戸から水を汲み食事はゆでたジャガイモのみ。そして娯楽はなく、家にある本は聖書のみ。なんともつまらないし惨めである。そのうちに1人の男が訪れて、いかに人間が世界とあらゆるものを堕落させたかと神の否定を説く。彼が批判しているのは経済活動のことかもしれない。経済活動により格差拡大するばかりの現実を見て神の存在を否定するに至ったのだろう。実際にニーチェは、ルサンチマンを感じる弱者が自己肯定のためにキリスト教を生んだと語っている。男は本作の中で"ニーチェ側"といえるかもしれない。しかし農夫は男の話を信じない。神を信じ続けているのだ。

その後2人を危機が襲う。アメリカを目指すという外来者の一団や井戸の水の枯渇。この家にはいられないと引っ越すも今度はランプの油が枯渇する。ラストの食事シーンは本作の中でも最も暗いシーンでまさに鬱映画のレベル。この2人には苦難しか訪れないのか。永遠回帰の考え方にのっとればこれらの事象はすべて繰り返されるのだ。まさに生の意味を考えさせられる。

さて本作は"6日間"という設定もポイントだと思う。旧約聖書によると、神は6日間で世界を作り7日目は休んだ。だからこそ日曜日は安息日である。父娘は6日間惨めに暮らし、7日目は休めるだろうか。おそらく休めずに、惨めな生活を送り続けるだろう。これこそキリスト教の否定と永遠回帰の象徴だろう。本作では直接的に7日目は見せないが予感はさせる。まさにニーチェの思想をたたきこむような作品なのだ。

印象に残ったシーン:2人が暗い部屋でジャガイモに向き合うラストシーン。
亘