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スパルタの海のマーチのレビュー・感想・評価

スパルタの海(1983年製作の映画)
3.2
戸塚ヨットスクールにまつわる実話の映画化。描かれている視点の問題によって上映中止となった作品で、戸塚ヨットスクール及び体罰の美化や肯定とも取れる部分が確かにあり、その辺に関して詳しくはフィルマのポスターの下にWikipediaのリンクがあるので、知りたい方は是非そちらを参照していただきたい。伊東四朗が主演になった理由も、よく分かるので。

活劇として80年代の空気感も取り込みながらスポ根的バカらしさを表現できていて面白いなとは思うけど、やっぱりこの話を正当化したドラマ仕立てにしてしまっているのには首をかしげる。

最初こそ脳筋感情論で暴力の正当性を主張し、悪しき日本(及びそのシステム)の80年代性を体現する大人たちと、それに同様の暴力をもって反抗する子どもたちというシビれる構図に興奮したものの、結局のところ子どもたちは更生を盾に大人社会へと取り込まれてしまい、そんな大人を尊敬すらして幕を閉じる。実話を基にしているということと、戸塚ヨットスクールを持ち上げる旨で製作された作品ではあるんだろうけど、映画としてはアメリカンニューシネマの方へ舵を切ってしまった方が幾分意義深い映画になったように思える。今でこそベタを通り越して古臭い、電車の窓から顔を出して別れを惜しむ女性とそれを追いかける男性というシーンも、青春ドラマに振り切ってしまえばもっと効果的に映ったはずで、全てとは言わないまでもかなりの部分で物足りない。カルト的作品という割には喚いているだけで、暴力もスパルタ性も結果的には「死亡」という言葉のインパクトだけでその酷さや壮絶さを済ませてしまっている。あまりにも表面的で、真に迫ってこないのがなんとも勿体無い。勿論、それは戸塚賛美が足枷になっているんだろうけど。

警察の卑怯さや、それまでも噂が立っていただろうにいざ事件が起こってからしか駆けつけないマスコミの都合の良さなども描かれていて、アナーキーな部分にも果敢に挑む作品なのかと思ったが、あまり自覚的でないみたいだったのは残念。いい要素だっただけにもっと踏み込めたはずだし、作品の社会性を示せるチャンスだったのに、話に関連が深くある訳ではなく、単に事実の羅列としてしか扱っていなかったことに落胆した。

無理やり拵えたような過去の実績を誇り、それに陶酔し、自分は間違っていないとばかりにいつでも手を引く覚悟のある大人が実は1番怖い。それに虐げられるのが子どもであってはいけないし、〜式メソッドみたいなやつが全然当てにならないことは昭和が証明してくれた。子どもが更生したとして、あの辛い状況を糧に今後も生きるとして、本当にそれでいいのかとは思う。身体には、一生残り続ける傷が刻まれているかもしれないのに。(子どもの家庭内暴力を解決する最善の手段が、本当に戸塚ヨットスクールだけだったのか? そこの葛藤を切り落とすのは話の進行をスムーズにするための処置だろうとはいえ、描かれている世界が狭すぎる気がする…一言の言及くらいあってもいいはずなのに。)

個人的に、この昭和的感情論でどうにかなると思っている大人の残党を未だによく見かけるし、そのたびに溜息が漏れ、反吐がでる思いに駆られる。もっと冷静になりましょうよ、今はもう令和ですよと。そういう意味では、日本の80年代性を象徴的に描いた貴重な作品なのかもしれない。伊東四朗の怪演も見所です。それにしても、西河監督のフィルモグラフィ上ではかなり異例の作品。どうやら、監督の個人的な思い入れがあったようですが…。

上映中止からほとぼりも冷めて再上映となった折の舞台挨拶がDVDに収録されていたんだけど、登壇しているモデルとなった戸塚本人の言い分がこれまた呆れるほどに清々しいので是非観てもらいたい。
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