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泥の河のohassyのレビュー・感想・評価

泥の河(1981年製作の映画)
4.0
映画「泥の河」

日本が戦後の景気回復に沸く一方で、貧しいながらも幸せそうに食堂を営む一家と、船宿(船で客をとる娼館)に住むさらに貧しい一家を、子供たちの交流を通して描く本作。
誰にでもある子供の頃に経験した、子供同士友達同士の関係だけでは説明がつかない「なんとも言えないあの気持ち」を見事に表現した傑作だ。
今思えばあの気持ちを作っていたのは、子供同士には関係のない、経済力や親の仕事、生まれ、育ち、文化、そういうものがそこはかとなく漂ってきて、僕らを包み込んでいたのだろう。

経営する食堂で流れるラジオが「日本は経済が回復した、もはや戦後ではない」と高らかに告げるが、食堂一家とそこに集まる労働者たち、そしてもちろん宿船の一家には、全くそんな実感はない。
映画の冒頭トラックを買うと意気込んだまま死んでしまった、芦屋雁之助演じる鉄クズ屋も合わせて、完全に取り残されてしまった人々だ。
誰かが勝手に始めた戦争に招集され、勝手に負けて、それでもなんとか生き延びて帰ってきたと思ったら、今度は自分たちの知らないところで金持ちが生まれていく。
その不条理を、静かな怒りを伴って本作は描く。

これは今もそのままだなあと思う。
政府でも組織でも会社でもなんでもいいけれど、いわゆる大本営の言葉というのは残念ながら実感を伴うことがあまりない。
いろんな事情があるのだろうけれど、それを差し引いても上っ面だけの言葉や希望的観測に終始した言葉、願望だけで実が伴わない言葉は、現代にはそぐわないし意味もないだろうに、どうして取り繕わず本心や具体的な実のある話をしないのだろう。

本作は宮本輝の傑作短編小説が原作なのだけれど、宮本輝は学生時代にずいぶん読んだ。
特にこの泥の河はよく覚えている。
小学3年生の主人公・信雄が、友達になったきっちゃんに誘われて船宿に行くと、きっちゃんの姉・銀子が、汚れた信雄の足を優しく洗ってくれる。
信雄は初めて沸き起こる異性への思いに戸惑いながらも、淡い恋心を抱く。
甘酸っぱい一方で生々しい描写が妙にドキドキさせるのだが、本作でもここは大きな見どころの一つだ。

もうひとつの見どころを選ぶとすれば、なんといってもきっちゃんがカニを燃やして遊ぶシーンだろう。
描かれてきた複雑な時代性や人物たちの環境を一瞬全て忘れさせる子供の無邪気さと狂気が、モノトーンの画面と相まってなんとも言いようがない力強いシーンを作っている。

この時代に比べれば今はそうでもないかもしれないが、みんなそれなりに入り組んだ複雑な過去を背負っている。
長い人生を生き続けるには必要なことだ。
オリンピックは平和の祭典というけれど、関わった人は大体不幸になっちゃってるように見えて、これそもそもなんでやるんだっけ?と思わざるを得ない。
やること自体は構わないし見るのも好きなんだけど、いろんな状況を思うとやっぱりなんかね。
やっぱりダブルスタンダードって醒めるんだよな。
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