華麗なる加齢臭

復讐するは我にありの華麗なる加齢臭のレビュー・感想・評価

復讐するは我にあり(1979年製作の映画)
4.7
【貧しさの残滓にある家族の映画】
1979年昭和54年の今村作品。5人を殺害した西口彰事件を題材にした長編小説を映画化したものだ。

舞台は、日本が戦後の焼き野原から、朝鮮戦争の特需をへて高度経済成長期にある昭和39年が舞台。

昭和35年末には池田内閣が国民所得倍増計画を発表し、昭和39年には東京オリンピックが開催された。この時期には多くの国民は、日々豊かなになっていくことを実感したであろ。

同時に、後に標準世帯と称される、家族思いの父親と優しい母親、そして二人の子どもの核家族が世帯類型の主流にもなってきた時期でもある。それら世帯には、当時『三種の神器』と呼ばれていた、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が普及しはじめ、絵にかいた幸せな家庭が広まっていた時代だ、

その様な、時代背景を考えながらこの作品を観た。そして何よりも印象に残ったのは家族のあり方だ。

小さな幸せに包まれた家族が増えている社会にあって、迷信を信じるがごとく土着的信仰としてキリスト教を信じる父親、どことなく薄倖が漂う妻や親に成りきれない母親、そして犯罪を繰り返し、やがて殺人鬼となる緒形拳演じる榎津巌の家族。

また、被害者となる浜松の貸席旅館の女将、浅野ハルが属する家族も、殺人を犯した母と、パトロンでのある情夫との複雑な家族だ。

この作品は、殺人鬼である榎津巌を描いた作品だ。だが同時に戦後の復興や高度成長の中にあっても、それに取り残された者たちが織りなす世界で、かろうして自分以外の誰かと繋がっている家族を伝える作品でもある。

「三丁目の夕日」に代表される”あの時代”は決して人間味にあふれていただけではなく、反対に今より数倍も殺人事件が多かった時代でもある。それは、複雑な環境で、あるいは社会の底辺で近いところで暮らす者たちが「明日」も見れずに生活をしていたからであろう。そんなことも考えさせられた作品だ。

それらを伝えようとして今村昌平の熱量に、緒形拳はもとより、三國連太郎など出演者も見事に応え、熱演を見せてくれる。そして男優以上に倍賞美津子、小川眞由美の女優陣の芝居からその鬼気迫るものが、より感じられる。特に肉欲的な裸体を披露することで、幸せ薄い中年女性に成りきった倍賞美津子の女優魂は心が震えるほどだった。

ただ、一つ残念なことあげれば、この時代の邦画はどれもそうであるが時代再現性としての美術が今一つだ。実際の殺人現場でロケをしたとの逸話もあるが、冒頭のシーンで時代背景より、数年後の年式の車がつらなり興ざめだったし、看板など創られる街中の背景は、昭和30年代末期ではなく明らかに昭和40年代後期から50年代のものであった。