デニロ

逆光線のデニロのレビュー・感想・評価

逆光線(1956年製作の映画)
2.5
何でこんな作品に手を出したんだろうとつらつら思い辿るとチラシに行き着いた。「日本人離れした抜群のスタイルで日本中を魅了した、北原の圧倒的な存在感を目撃せよ!」の惹句。北原三枝でした。

原作は女子大生作家岩橋邦枝で女性版石原慎太郎ということだったらしい。全く知らなかった。「太陽族」映画の一環。歴史的作品。彼女はお茶の水女子大学の学生だったそうで、本作はそこがモデルなのかと興味津々。ヴェーゼだリーベだとうるさいったらありゃしない。

冒頭、北原三枝が颯爽とキャンパスを歩く姿からラブコメかと思って観ていた。が、次の大学教授信欣三の北原三枝を見るエロい視線から徐々に異様な雰囲気になってくる。陰気臭い安井昌二に積極的に迫りつつ、友人渡辺美佐子の恋人と気軽にデートしたり、家庭教師として通っている家の主人二本柳寛といとも容易く一夜を共にしたり、もはや誰とでも寝る女と化している。その後石原裕次郎の毒牙にかかり、否、計算づくの行動で芸能界を去っていく。かたや二本柳寛はこの後もベンツを乗り回し『青春残酷物語』で桑野みゆきと懇ろになったりもしている。

新宿「どん底」が出てきて忌まわしい記憶が甦る。ここは最初誰に連れてこられたんだっけ、と思いつつわたしが遊びに行ってどんカクを呑んでいた70年代半ばは歌声じゃなかった。ここで語る恋は成就しないという記憶しかない、ああいやだいやだ。

この当時の観客はダンスが大好きで尻の軽い大学生を観てこんなものだろうと受け入れていたんだろうか。これじゃ今どきの学生よりも性的には進んでいる。スーパーフリーも広告研究会もお呼びでない。

衝撃のラストシーン。上高地の河原で衣服を脱ぎ棄て西穂高に向かって歩いていく北原三枝。先生、わたしここで脱ぐ必然があるんでしょうか、等と言わなかったんだろうか。意味不明のサービスカットに唖然とするばかりでした。

1956年製作公開。脚色池田一朗 。監督古川卓巳。
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