ぷかしりまる

フェイトレス 〜運命ではなく〜のぷかしりまるのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

今作では収容所における直接的な暴力の描写は少ない。どうせドイツ人に奪われるのだからと、自分たちに金品を差しだせと命令する同じハンガリー人、食事のことで頭がいっぱいの主人公に背を向けて食事を取るSS(嘲笑うのではなくやましさを感じている)や、数時間に及ぶ点呼の際に疲労と眠気からぐらぐらと揺れる人の波に見られるように、平凡または間接的な暴力が淡々と描かれていた。主人公を手厚く看病するカポ(主人公に名前を聞き、識別番号を答えられると、番号ではなくて名前を教えてと言う)が、収容所解放後にその立場からリンチされかけたことも印象的だった。
主人公が収容所から帰還した後の周囲とのやり取りに驚いた。まず主人公に対し、収容所に連れていかれなかった人は「あそこは地獄だったんでしょう?」と問う。彼に対して主人公は、地獄は見ていないと答え、そこがいかに悲惨だったかということを押し出して語らず、むしろ幸福のひと時さえあったと述べる。主人公にとって、収容所でのことは現実として起こったことで、彼はその中で生きるすべを見つけて順応した(たとえば、自尊心を失わないため、配給のパンを食べるタイミングを計算するように)。順応する中で、主人公は自由時間の喜びや被収容者同士の絆を感じていて、だからこそ地獄ではないと言ったのだと思う。しかし、そうであるからといって、主人公の経験は矮小化されていなかったと思う。彼は「幸福のひと時もあった」と述べてから、あとの場面で「僕は変わり、以前の僕には戻れない。何に対しても怒れなくなった」と述べる。そこには人の価値観を覆してしまうような何かがあった。
そして、あの時ああしていたらこうはならなかったという無数の分岐点を考えてしまう主人公に対して、周囲は終わったこと、過ぎたことを考えるなと言葉を遮っていた。そんなことを言われたら「あなたに分かるはずがない」と他者を拒絶し、信頼できなくなるのではないか。偶然の出来事によって人生が変わった主人公は、過去を振り返って分岐点をずっと考えていくはずだ(タイトルの運命ではなくとは、そういう意味のはず)。帰還した人々は、収容所での経験を生きることや、収容所を経験していない他者に接することに対して、どのような困難や断絶を感じていたのかを学びたい。

正直映画としては、ワンシーンが短いわりには暗転を多用するためにつぎはぎな印象を受けたし、その度に集中力が途切れた。所々つなぎ間違いらしきものがあってムズムズした。また映像に対してモリコーネの劇伴が叙情的すぎる気もした。しかし数日経って考えると暗転の多さは、主人公にとっての記憶が断片的なことの表れなのかもしれないと思えた。