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ペトラ・フォン・カントの苦い涙のtntnのレビュー・感想・評価

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絵画→ベッド→アトリエと、家の空間の奥行きそのものがヒエラルキー化されている。
マレーネは、アトリエで仕事をするし、カーリーンは頻繁に絵画=男性性に接触する。
奥行きを横から取る時は唯一ヒエラルキーを逃れて、「wirklich」な交流が生まれる。
だから最後にマレーネは、部屋を横切って出ていく。


今回見返した時が一番楽しめた。
関係性は、2人「だけ」の間にはあり得ないし、常に他の関係性に書き込まれてネットワークを形成してるということを、物語・画面が示し続ける。












再鑑賞。
マレーネ視点になる場面がいくつかある。











再鑑賞 映画館で見た!
頭痛くなった。
「自分達の汚れを知りなさい」と家族達に吐き捨てるマーギット・カーステンセンの表情がもうめちゃくちゃに格好良い。
喋っているのに画面から消える人物もいる中で、イルム・ヘルマンの動作だけはどんなに細かくてもカメラが追うのは、ファスビンダーなりのマリーナへの優しさなような気もする。
部屋の中のベッドは、王座/舞台みたいで、権力のある人間はその上でタバコも吸うし、メイクもするし、ご飯も食べるし、電話もかける。
それが取り除かれたクライマックスで、白いカーペットの上をペトラ・フォン・カントは這いつくばる。


2時間弱の密室劇なのに飽きない。
愛という聞こえのいい言葉では手に負えないような搾取と依存の関係性。
全くセリフのないイルム・ヘルマンの不憫な佇まいとラストの行動が強い印象を残す。
家の中を動くカメラワークとして『四季を売る男』と比較したいなと思いつつ、ミヒャエル・バルハウスはファスビンダーと対立しながら撮影していたという事情も念頭におきたい。
家の中から出ない人たちと社会の接合点。
フランソワ・オゾンのリメイクはどうなってんのかな。
終盤の床に置かれたカメラによるショットは、ダリオ・アルジェントの強烈な殺人シーンとかを思い出した。
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