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黒いスーツを着た男のodyssのレビュー・感想・評価

黒いスーツを着た男(2012年製作の映画)
2.7
【犯罪映画と社会映画のはざまで】

主演のラファエル・ペルソナが、アラン・ドロンの再来と言われているとか。(それにしても、ペルソナって面白いファミリーネームですね。)たしかに、少し陰のある美男子で、アメリカ的な陰のないハンサム系や、筋肉もりもりの闘争系ヒーローとは違います。

とすると、これは『太陽がいっぱい』だとか『陽のあたる場所』のような映画なのか、という期待がふくらんでくるのも当然ではある。まして、最初のあたりでは、車のディーラーで長年勤務し、社長令嬢と結婚を間近に控えた青年が、ひき逃げ事件を起こしてしまう、という筋書きですから、いかに巧みに事件の痕跡を消すか、成り上がりを完遂するか、その当たりがカギなのかな、と思えてきます。

だけど、そういうふうには筋書きは進まない。いや、別に『太陽がいっぱい』や『陽のあたる場所』でなくても構わないんです、面白ければ。でも、この映画は中盤以降、あんまり面白いとは思えない。明らかに制作側に誤算があったのでしょう。

特に、加害者と目撃者が関係してしまうあたり、どうもよく分かりません。目撃者は単に加害者に同情しただけではなく、異性として惹かれたのか。だとするとその辺はもっとちゃんと描かないといけないはずですが、そこが弱い。

また、見ていて首をかしげたのは、加害者が全然カネを持っていないこと。いくら母親が未亡人の掃除婦だったといっても、ディーラーで何年も勤務して社長令嬢と結婚を控えている青年が、たかだか8000ユーロ(約110万円)程度の貯金も持っていないんでしょうか。また、これからは共同経営者だと社長からも言われているのに、その程度のカネも口座から引き落とせない。或いは、彼が持っていなくても婚約者である社長令嬢も持っていないというのは、どうにも分からない。

この映画の原題は「三つの世界」です。加害者、目撃者、被害者、三者三様の世界を言っているのでしょう。この中でいちばん分かりやすいのは被害者の世界。東欧からの不法移民で、貧しく、その代わり親族同士の絆が強い。また、加害者が被害者の住まいを訪ねていくラスト近くのシーンでは、パリの貧しい移民たちが住んでいる一角が映し出されています。パリというと映画ではロマンティックで高級なイメージの街路などが映し出される場合が多いと思うのですが、ここではアメリカ映画によく出てくる貧民街で、こういう場所がパリにもちゃんとあるのだということがしっかりと示されています。

目撃者は、どうもよく分からない。その心理状態が分からないことは上に書いたとおりですけれど、男性のパートナーがいて妊娠している。でもどちらの部屋で暮らすかでもめている。このパートナーが、夜間学校か何かの先生なんでしょうか。彼の部屋は本で埋まっているから知識階級の人間だとは分かるけど、社会的にどのあたりに位置しているのか、見ていても分かりませんでした。

結局、この映画は犯罪映画と社会映画のはざまにあって、中途半端な出来に終わったのだというのが、私の感想です。
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