垂直落下式サミング

ドレミファ娘の血は騒ぐの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ドレミファ娘の血は騒ぐ(1985年製作の映画)
4.0
高校時代に思いを寄せていた先輩を慕って、大学にやって来た田舎娘。そこで落ちぶれ変わり果てた先輩の姿に失望し、実家に帰ろうとする彼女を心理学ゼミナールの教授が引き止める。教授は独自の「恥じらい理論」を完成させるために、初心な彼女を研究対象にしようとしていたのだった。
ずっと音楽が鳴っている。映像的な盛り上がりや物語としての起伏とか、特に関係なくずっと交響楽団みたいなノリ。鳴りっぱなしでも耳心地よい。
ヤリマン新入生役の麻生うさぎのボーイッシュな両性声も、小気味よく鼓膜を震わす。ハキハキとした物言いが江戸の町娘みたいな可愛らしさで、登場シーンは多いわけじゃないのに好きになってしまった。主人公を教室に案内する役目を終えて、次いつ物語に絡んでくるのかと登場を待ちわびていたら、ハツラツと歌うソロ歌唱パートがあるとは!
洞口依子に後ろから追いついてきて、マーガレットだかカモミールだかを指にはさんで持ちながら振り向き様に歌い始めると、他の学生たちが一斉に足を止めて歌唱に注目し、途中から疎らに動き始めて次第にフレームアウトする。おそらく何度もリハをして計算しつくして作ったシーンなのだと思う。
さらに、次の展開では電極を繋がれて心理学部の学生たちの実験台になっており、あれほどお喋り元気だった女の子が言葉を発さずに虚ろな顔で乱れると官能の風が吹き荒れて…。陽気な音楽劇のなかに、俗悪ないかがわしさが垂れ込めた。
はずかし実験の発起人は、エロおやじプロフェッサーの伊丹サーティーン。失恋して意気消沈の洞口依子を案じて、良いおじさまとして親身になってあげるが、若い娘への下心はちゃんとあるっていう凡夫。手錠に手首を拘束するときの手付きのイヤらしさたるや。やってんな、おっさん。
いよいよ田舎に帰る時がきたドレミファ娘。霧もやがかった川辺の草っぱらみたいなところを、みんなで歩いていくワンカットで締めくくり。この場面も、ロケハンしてカメラと役者の導線をしっかり決めてから撮ったんだろうな。いい感じにヌーヴェルヴァーグこじらせてるな。若いっていいな。