このレビューはネタバレを含みます
二通りの解釈が同居する。
①三月は雄三の妄想
三月の死に対して、二人の人物がどのようにそれを受け入れていくかという物語。
二人とは、三月の姉と、三月のことが好きだった同級生。
共通点は、二人ともまだ彼女の死から立ち直れていないということ。
劇中で、セラピーと言及されるように二人はお互いにそのことについて対話することでしだいに喪失を受け入れていく。
その対話の形は、すごく歪で可笑しい。
そのコミカルな雰囲気がとてもユニークだ。
ユニークといえば本作は、岡部尚が演じる雄三がかなりいいキャラしている。
間抜けで気力の無い空気を醸しながら、どこか余裕のあるような飄々とした態度が本当にユーモラス。
たれ目な表情とガリガリな体型もかなり良い。
また彼の職業もおもしろい。
AVのモザイクを付ける仕事は、「大事なものを隠す」ということの象徴かも知れない。
EDである彼が言う「勃つとかイクより気持ちいいものがある」ということが本当なら、その行為において「大事なもの」とはなんだろう。
②三月は実際に幽霊として存在している
この解釈であれば、本作はとてもシンプルな物語だ。
成仏しきれない死んだ女子高生の霊が、奇跡的に家族と17年ぶりの再会果たす。
もう天国へ行ってもいいけれど、どこか居心地の良い現世から離れられないでいる、、みたいな。
個人的には①のような、喪失と再生や人間の内面の複雑さみたいなテーマの方が好きだけれど、本作を映画として成立させているのは②のようなストーリーラインでもある。
劇中で雄三が映画のことを「人に見せて面白がってもらえるか」という評価基準で考えている描写がある。
もし本作が①のようなテーマ性だけで描かれるとしたら、あまり多くの観客には面白がってもらえないかも知れない。
②のようなストーリーラインがあることでエンタメ性が生まれる。
本作の映画としてのすごさは①と②の解釈が同居するというところにあるのかも知れない。