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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

因果律の話であった。

主人公は心臓外科医で、父親を医療ミスで死なせてしまった男の子マーティンから、「家族の一人を殺さないと全員死ぬ」と脅される。まず医師の長男の足が麻痺し、食事をしなくなり…という話。

マーティンのことが起こる前から、医師夫妻は長女の生理が来た話を大っぴらに赤の他人にしたり、夫婦の性生活では妻の方が完全に受け身で、ベッドの上に寝そべってるだけだったりと、ちょっと変な家族、という印象である。

因果応報の話であることを強く印象付けられたのは、以下の要素からである。

主人公が酔った勢いでオペをしたせいでマーティンの父親が手術ミスにより亡くなる→マーティンの呪いか神の定めた因果律により、主人公の子どもたちが歩けなくなり、食事も拒否するようになる。

コリン・ファレル演じる主人公の医者は、長男ボブが歩けなくなったのが詐病だと思って秘密を告白させようとし、手淫に関する自らの過去の秘密を明かす→彼の医療ミスの話を聞き出すために、妻が彼の麻酔医の同僚を手淫することになる(本作では医師の「手」が象徴的に扱われているが、このエピソードもその一つだろう)。

妻が「なぜあなたの過ちのツケを私たちが払わないといけないの?」と言うが、まさにそういう話である。

主人公一家の男親は長男に厳しく、女親は長女に厳しい。「親は同性の子どもには厳しくなる」、というのは少しステレオティピカルでは、と思ったが、親の罪を子どもが償うという不条理さのインパクトの前では、些細なことかもしれない。

長女キムがあっという間にマーティンに夢中になり、弟に冷淡なのも気になる(「あんたが死んだら音楽プレーヤーをちょうだい」)。

マーティンの脅しに屈し、主人公と妻が子どもを天秤にかけ始めるのが恐ろしい(マーティンの呪いによれば、医師が家族の誰か一人を殺さなければ全員が死ぬ)。普通の、人の心を持った親であれば、自分の命など喜んで捧げるだろうに。妻は夫に命乞いさえ始める。「可哀想だけど、選択するなら子どもよ。私たちならまだ産める」じゃないんだよ。グロテスクだな。とイラついてしまったが、おそらく邦画であればここで母親が喜んで自分の命を捧げるだろうから、映画として成り立たない。それにこの母親であれば、人工授精でもなんでもして、ど根性でもう一人子どもを産むだろう。

マーティンは医師の妻の前でスパゲッティを食べ、「父とそっくりな食べ方と言われ、自分だけがこの食べ方を受け継いでいくんだと思っていたが、みんな同じ食べ方をしていた。他の人と変わらない」と言う。本作には継承のテーマがあるが、それならばなぜ医師の家族は彼の罪を継承し、償わなければならないのか。因果律はあるがその因果の原因が「血縁だから」くらいしかない。そして「血縁による罪の継承」の矛盾を、マーティンのスパゲッティの食べ方のエピソードがさりげなく示している。

結局、医師は犠牲になる家族を自分では選べない。そのため、ライフルを持って居間でグルグル回り、当たった人が生贄、という決め方になる。一応妻、娘、息子の全員に袋を被せガムテープで拘束はしていたが、ボブが犠牲になるのが医師にとっての規定路線だった気がする。父親の罪を償わされたボブが可哀想すぎる。

医師である父親は、酔った状態で手術をして、マーティンの父親を死なせてしまった。そのせいで息子の命を自らの手で奪うことになる。他人の命を適当に扱った罪はこうも重いのか、と思わされるが、医師と妻、娘の完璧な生活は、ピースが一つ欠けただけのように、これからも続くのだろう。マーティンは本当に彼にダメージを負わせられたのか?医師にとっては交換可能なスペアが一つなくなっただけではないのか?本当にそれで平仄は合ったのか?

最後、ダイナーでマーティンと遭遇した三人家族。どのくらいのダメージを与えられたのか、確かめるように家族を見るマーティン。ポテトを食べ、歩き出すキム。ダイナーを出る際に、長女キムが振り返って微かに微笑んだかのように見えた。医師夫妻は、「確かに代償は払った。これで貸し借りなしだ」とでもいうかのようである。妻の表情などは、これでもうあなたは私たちに触れることはできないと、まるで勝ち誇っているかのようだ。一方、医師はマーティンに一瞥も寄越さない。もう彼に時計を贈ることも、もちろんないだろう。マーティンの復讐は失敗したのではないだろうか。

他人の生死を握る職業であるにもかかわらず、命を許し難いほど軽く扱う人間が、家族の命はどう扱うのかを彼が見たかったのだとすれば、「家族でさえも、代替可能なものであるかのように扱う」で答えは出たのではないか。非常に胸糞の悪い話だ。

親が子どもを生贄に捧げる系のギリシャ悲劇がギリシャ悲劇たりうるのは、子どもが親にとって血肉や魂のような存在だった場合だけだ。「どっちが出来がいい?」と教師に照会するような親では、悲劇になりようがない。

不協和音を多用した圧迫感のある音楽が効果的。

重苦しい条理/ 不条理に関する話なので、観終わるまでに1ヶ月くらいかかった。
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