PAPAS

ラプラスの魔女のPAPASのレビュー・感想・評価

ラプラスの魔女(2018年製作の映画)
1.0
【GWを彩る3パターンを予想する~まだ観ていません~】
GWを彩る「3作品=3大ワンパターン作品」を
大胆にも、傲慢にも、
観ていないにも関わらず(試写会にも行っていません)、
予想します。

今までに公開された作品から、
「お馴染みのワンパターン作品」の出来栄えを推察します。
恐らくそんなに的外れにはならないのでは。

「アベンジャーズ インフィニティ・ウオー」
「となりの怪物くん」
「ラプラスの魔女」
を作品別に、それぞれのレビューでコメントします。

ここでは、「ラプラスの魔女」。たった6点。

【駄作の条件がそろいました~これではどうしょうもありません~】
駄作になる悪夢の4条件がそろいました。

「すず」=また出てきました。せっかく「ちはやふる」を忘れかけていたのに。映画出演が途切れることがありません。
それほどの「女優(タレント?)」でしょうか?
終了した連ドラ(視聴率が良くなかったとのこと。週刊誌には「すずでさえ…」とありましたが違います。「すず」だからこそダメだったのです)を
「坂元裕二」の脚本だったのでつい見てしまいました。
またCM(教師がこぞって大嫌いなSBのCM)でさんざん見かけます。
さらにまた番宣(し過ぎです最近は。TV局の陰謀で出ているようですが、その分作品に力を注いで欲しい。自身もおいしいし出たい?)で見かけることになるでしょう。
予告で「魔女は私」というセリフを吐いていますが、魔女ほど能力も魅力(どうしてもあのしゃべり方は媚を売っているように聞こえてしまいます)も美しさ(個人的には鼻と目と唇が好きになれません。大変「上から目線」の厳しいことを言いますが、これは選りすぐられた女優というレベルだからこそです。すみません。女優でなければ言えることではありません)もありません。

「福士蒼汰」=「曇天に笑う」は大コケでした。
笑顔だけです。もう少し作品・監督を選びましょう。

「櫻井翔」=あっちこっちの映画に引っ張りだこの「ジャニーズ」です。人材がそれほど不足しているんでしょうか?
歌手(ええっ?)・タレント(いかにも)・ニュースキャスター(ケイオー出てるから?他のタレントにはできないことをしてるという意味では評価しています)とTVで見かけない日がありません。

結構なことですが、忙しすぎるのでは。
作品に打ち込めるのでしょうか?役作りは充分できたのでしょうか?
インタビューで「現実的には俳優ではないし、芝居の勉強もしたことがない」と答えています。そっそれは。
何故しないんですか?
何故させないんですか?
何故「勉強・訓練」をしてきた役者よりもいい役を与えられるんですか?
それが芸能界であり社会であり人生ですか?
「ジャニーズ」を好まない理由のNO1です!

結局は顔ですか?ルックスですか?
という才能ですか?
それは批判し続けます。
どんなにクレームをぶつけられてもガマンできません。
実際に社会・人生を「努力」して「勉強・訓練」をして生きていく多くの人たちのために。

「才能に恵まれないものが・環境に恵まれないものがひたむきに努力して・生きて、才能に恵まれたものを・環境に恵まれたものを超える。素晴らしい。これこそ教育です。文学です。人生です。」ということを教え子たちに強く訴えてきたことを踏まえるとガマンできません。堅苦しくて不器用ですが。
ファンの方々には申し訳ありませんが。

また役が「ガリレオ」に似ているような気がするのですが。同じですか?

そして監督です。
映画に詳しくない人でも、少しでも人より映画を観る人ならおわかりでしょう。
そうです「三池崇史」です。
作品を紹介します。
無限の住人(キムタク)・ジョジョ(山賢)・テラフォーマーズ(伊藤英明・山P・武井咲)・土竜の唄(生田斗真)・神さまの言うとおり(福士蒼汰)・愛と誠(妻夫木聡)・悪の教典(伊藤英明)・ゼブラーマン(哀川翔)・クローズシリーズ(小栗旬・東出昌大)・ヤッターマン・妖怪大戦争などです。

ジャンルにとらわれず、多作・ハイペースで作り、アイデアとユーモア(笑えません)に富むという評判です。
つまり何にでも食いつき、自分を持っていないのです。
多作・ハイペースの理由は明瞭です。
製作・演技に時間をかけない「北野武」と同じ作り方なのです。
これは「致命的」です。つまり前述と同様です。
汗と涙の「ひたむきな努力(努力・訓練)」の末に作り出すということができないのです。
これではとても応援・評価はできません。

多くの映画レビュアーに酷評されながらも作品を任される理由は、どうやら人格に魅力があるようです。
多くの役者から、「三池組」への参加を希望されているそうです。したがってキャストが豪華になりがちです。この作品も。

ここに映画人と観る側に大きな「ギャップ」が生まれてしまいます。
この「ギャップ」を「映画人」は肝に銘じなければいけません。
いくら「映画人」に好まれても「観る側」に好まれないと。
これはどうにかしないとこれからの「映画」は…。

緻密に絡んだ「ストーリー展開」を主とする、当たる外れの多い「東野圭吾」作品を実写化する「監督」としてふさわしいとはとても思えません。

この「悪夢」の4条件で、この作品が「駄作」になることを叫びます。

もう一度、何となく最近「観客」が減ってません?🍀
PAPAS

PAPAS