シロー

飛べない鳥と優しいキツネのシローのレビュー・感想・評価

飛べない鳥と優しいキツネ(2018年製作の映画)
4.3
校内でのいじめと父による暴力にさらされる毎日。ミレの居場所はゲームの中、しかしそのゲームもサービスを終えてしまう。死にたい日々。ミレはゲームの中で仲が良かった『ヒナ』に会いに行く。

凄惨な現実とポップなファンタジー世界が対照的な味を出していて、そのコントラストが印象的だった。小説を書くのが上手くて夢想癖がある(劣悪な環境から彼女を一時的に避難させるための現実逃避)ミレという少女。おそらく一緒に飛び降りたランの鉢は彼女に押し付けられた人物像(学士は皆ランを育てながら徳を積む)であり、鬱屈あるいは圧力の象徴で、鉢だけが砕け、彼女は生還したというのは彼女の生き方が肯定されたという表現に見えた。単純にランを育てるだけで君子ぶってる先生に対する怒りとも取れるけど……ここ割と考察できそう。廊下を走るシーンで、教室を出たり入ったり真っ直ぐに進まないのは、彼女の内にある格闘(葛藤)を表現しているのかも?

ベッカプという少女。
彼女もまた飛べない鳥。そしてミレの視点で見れば、彼女は「キツネ」側の人間。ゲーム内で一番仲が良かった『ヒナ』というキャラクターの外装が、ベッカプと同じ姿をしていることから、ミレの中ではベッカプは最大の友人(その時点で交流は薄いけど)に位置付けられている。事実、ベッカプもミレに対しては好意的である。それはある種の陰湿さからであるというよりシンパシーに近い。厳しい親からの叱責から心的に孤立している彼女にとって、ミレは同じ苦痛を味わっている仲間であるという意識(彼女は優しいキツネであるので、庇護意識もあると思う)。そして自分には持っていないものを持っているという嫉妬心。彼女の犯した罪によって、それは引き返せないものとなる。いじめって単純なものではないし、やりたくないけど自分を守るためにはやらなきゃいけないときもある。それが悪いことだとは思わない。詳しくは描かれていないけれど、ベッカプの中の罪悪感というものも相当なものだったはず。グループを裏切ってまでミレに合わせようとしたのは、盗作をしたことへのせめてもの贖罪……? この辺はちょっと心の動き難しい。

テヤン(ドラムの子)
たぶんバカな子。空気が読めないけど無意識な優しさと顔の良さ?でなんかめっちゃモテる。ミレがクラス単位でいじめられているのにもかかわらず、その無言の圧力を理解せずに拍手したりする。優しい、と表現されてるけど、たぶん鈍感すぎて気づいてないのでは……? 着崩した方がモテると聞いて早速実践したり、ちょっと抜けてんなーって思った。ベッカプとの関係はあんまりよくわからなかった。

ヒナ(ジェヒ)
ミレにとっての「キツネ」のひとり。彼にも事情があり、自殺願望に揺れる中でもがいている。フリーハグの着ぐるみを着て、ある人と和解するために毎日待ち続ける
。ノートにやりたいことを書き出して……っていうのは、自殺と反対の思考で、ひたすらに死ぬまでの時間を稼ぐ行為である(小説内の「100年後ーー」とあるように、やりたいことがたくさん見つかればそれだけ死が遠のく)。死を前にしたら食事も歯医者も親友への謝罪もする必要がない。でも彼はそれをせずしては死ねなかった。死にたくなかった。「悲しいときは泣いていいよ」という手紙は卑怯だよなぁ(号泣) どんなことをされても決して泣かなかったミレが堰を切ったように涙するシーンすごい好き。

タイトル。邦題は「飛べない鳥と優しいキツネ」、つまりミレとヒナ(ベッカプも含む)で、おおむね小説内の言葉通りに進んでいくからわかりやすくて良いんだけど、原題の「여중생A(女子中学生A)」も割と好き。名前がないから暫定的にAとする。つまり、記号的なんだけど、それはおなじような境遇にある観客に対しても救いを見出せる。Aは誰が名乗ってもいい。ミレが世界を救う「ダーク」であったように、映画の世界だけど、私たちもこの世界にある希望に手が届きそうな気さえする。なんだかこの作品の寄り添い方が好きだなって思った。

家庭問題が解決してないじゃんとか、みんな仲良く元どおり、なんていう理想が過ぎる展開に驚いたりするけど、漠然と死にたいなって思っている人が、もうちょっと考えてみようかって思えるような、そんな作品だった。飛べない鳥には優しいキツネの存在が必要で、もし苦しんでいる人がそばにいるなら、自分がキツネになってあげることも忘れてはいけない。
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