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CLIMAX クライマックスのtaatのレビュー・感想・評価

CLIMAX クライマックス(2018年製作の映画)
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「誰がLSDを混ぜたのか」ドラッグと芸術の関係性について
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あえて、誰がLSDを混ぜたのかという問いについて考察したい。

おそらく作品の構成上その犯人について言及することは敢えて取り除かれており、監督自身も「ドラッグの混入は僕の脚色で、犯人は誰かということを明確にせず..」と語っているように※1、「誰が/なぜ」薬物を混ぜたのかということは重要視されていない。

他方で、本作の重要な側面として、ドラッグとダンス表現の関係性についても考えておかなければならない。
事実として、芸術と薬物との間にはこれまでに様々な関係が築かれてきている。誰もが知る名曲でも、制作過程で薬物を使用しているということは多い。

本作で誰がLSDを混ぜたのかを考察すれば、概ね答えは一つだ。
それはダンサーたちのうちの誰かではなく、会場を用意した「運営」側ということになるだろう。

不自然なほど孤立した雪山のなか、窮屈で閉鎖的に感じられる会場、そこにいるだけで少しおかしくなるような雰囲気が、用意された空間に漂っている。

おまけに初めのインタビューシーンでは、「どんな手段を使ってもダンスで成功したいか」という質問がダンサーたちに投げかけられていることも分かる。
明らかにドラッグは、運営側によって仕掛けられている。

問題は、彼らがなぜLSDを混入したかというところだ。
これについては明確な描写は作中で示されていないが、「薬物を投与することによるダンス表現の進化」のようなものを実験として観察したかったのではないかと考えられる。

前述したように、名作と呼ばれるような芸術は薬物を使用して作り出されることも多い。
LSDなどの幻覚剤が、通常時に得ることのできない、精神拡張状態やより鮮やかなイマジネーションの獲得を誘発することが実験によって示されていることも事実だ。※2

ではその実験は、果たして成功したと言えるだろうか。
鑑賞すれば分かるようにダンサーたちは映画の後半から崩壊する。

欲望を剥き出しにして性行為に走ったり、やたらと攻撃性を増した行動をとったりと、かなり狂気的で、およそ素晴らしいダンス表現とは言えないだろう。

この描写には本作のスリリングな要素が詰まっているのだが、面白いのはLSDが回る前は、そんな彼らが揃ってダンスをしているというところだと思う。

それぞれが中盤の会話のシーンで語るように、本来彼らは彼らの欲望を心のうちに秘めている。それがどんなに汚い欲望であったとしても、LSDによってタガが外れてしまう前は、それを表面には出さないようにしているのだ。

ダンスをすることで、普段は彼らがその欲望や怒りやエネルギーを放出しているのだとしたら、なるほど、彼らが映画の序盤でみせるダンスが魅力的なはずだ。

『CLIMAX』について、監督が「アルコールの恐ろしさを啓蒙するための映画」と話しているように※1、本作においてアルコールや薬物は良い効果があるようには描かれていない。

芸術表現の手助けとしてドラッグを使用したという事例がある一方で、本作はそのようなアイテムを使用しないことによる欲望の抑制こそが、表現者の強いエネルギーとなるというように読み取ることができる。


※1
https://eiga.com/news/20191101/23/

※2
https://wired.jp/2017/05/29/lsd-high-consciousness/
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