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長いお別れのamuのレビュー・感想・評価

長いお別れ(2019年製作の映画)
4.0
これ、予告編だけでうるっときて、あー配信されたら絶対に観たいなー、と思っていた作品なんですけど、監督中野量太なんですね~。と、観終えて知った。(このパターンまたやってしまった。笑)

や、でも、この作品は普通で、ちゃんと良かったです。湯を沸かす~のいやらしい偏見みたいな変な見せ方は無かったかな。

この作品はもう、山崎努さんが全て。
本当に素晴らしいです。

段階を踏んで二年おきに映し出される家族の風景は、認知症を患ったお父さん(山崎努さん)のその度合いの変化もしっかりと表されていて、この病は本当にゆっくりゆっくり蝕まれていくものなのだということを知った。私は家族や周囲に認知症の人間がいないので、この先もし親や家族がこうなったとき、自分はどう対応していけるだろう、とどこかぼんやりと考えながら作品に向き合った。というより、どちらかと言えば、自分がこうなったらどう感じながら生きるのだろうという方がなんだか強かったかもしれない。どちら側にせよ、私は家族を含め大事な人に(その時には家族もいなくなって独りかもしれないから、施設の人に?)優しく接することができるだろうか、優しく接したくても記憶みたいなものが無くなってしまうのかなぁ、とか。ネガティブになったわけではなくて、今の情勢もそうですけど、自分の思いだけではどうすることもできないことへの考え方みたいなものというか。

私は、自分のことももちろん人もコントロールしようとしない、抗わない、というのが苦しくない生き方の方法のひとつだと思っているのですが、抗うことも抗わないことも、記憶が無くなる上では無力で、周りに少なからず迷惑をかけてしまうだろうから、それは嫌だなぁ、でもどうすることもできないのだなぁ、と、こんなことを考えていることも無意味で、無意味なくらいやっぱり病気というのは切ないかたまりだなぁと思った。

作中、認知症のお父さんのこと以外でも切なさはあった。竹内結子さんの家族については正直何も感じなかったのですが、私は蒼井優さんのところで、あぁ、、となった。東日本大震災が起こり、世の中が何でもかんでも「絆」、「繋がろう」と連呼したことで受けた感情。確かに皆で力を合わせようということを含め、ひとりじゃない、会いたい人に今日会おうみたいな風潮は良い意味だけをもたらしてはくれなかったと思えたから、作品の中のそれは、些細なことのようだったけど、私は当時のもやもやした言葉にならない感情を思い出した。Twitterに依存していたのもその頃だったな、とか。
世の中的に表立って言われることは無かったけど、そういう些細な人間同士の感情が交錯したと思う。

情勢の内容は全く異なるけれど、コロナウイルスで世の中が不安に包まれている現在、9年前、とにかく人と繋がろう!としていた世の中が、人に接してはいけない日常になっていて、先にも述べたけど内容が全く違うから並べて話すのは違うということはとてもわかっているけど、今、東京はあの頃と雰囲気がとてもよく似ている。だから、なんだか変な不思議な感情になる。繋がろうから、離れようになって、抗わない生き方は流されるというのとは意味が違くて、抗わないというのは、与えられた場でいかに辛く無く苦しく無く過ごすようにするかということだと思うから、東日本大震災やコロナウイルス、認知症、それぞれ別物だけど、その環境で生きるしかないから、反発したり抵抗したり、またネットの情報に流されず、自分は自分で自分を大事にして、生きていけたらと思う。

認知症を発症したお父さんとその家族の向き合い方を通した物語、を観たはずが、認知症というもの抜きにしても感じるものがある家族のお話だった。

情勢だのなんだのと珍しく真面目な文面になってしまいましたが、冒頭、この人ちょーチョイ役なのに演技うま!と思ったら季節くんでめっちゃテンションあがった。笑 すぐ戻して二度見しました。さり気ない役でも巧い人は巧いよほんと。
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