流之助

ミッドサマーの流之助のネタバレレビュー・内容・結末

ミッドサマー(2019年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

精神が弱っている時に観ちゃダメという感想をいろんなとこで見聞きした作品。
私の精神が安定している時など無いので別にいつ観てもいいわけだ(?)

アリ・アスター監督の作品は「ヘレディタリー継承」のみ視聴(たぶん)。
独特の歓声を持っていることは承知の上。
裸いっぱい出てくることも、「またやん」となってしまった。
ババアの裸コワイ。
それにしても成人男性がフルチンで走っているシーン、本当は怖いシーンなんだろうけど笑っちゃった。その少し前までめっちゃ美人(意中?の男に自分の陰毛と血を食わせてくるけど)とヤリまくって(しかも裸のババアにめっちゃ尻を押されながらwww)たのにね。自分の彼女のことを大切にしないわ、友人から論文のネタをしれっとパクるわするから因果応報よね。
黒人くんもダメって言われたことしたし、小便野郎は言うまでもない。サイモンとコニーは帰ろうとしたから?サイモンだけめっちゃ飾られてたのは何かあるんだろうか?(°∀° )?

ところどころ「ん?」ってなる場面もあるけれど辻褄の合わない所はなかったように思う。
死んだ人間の名を、次に産まれてくる子どもに与える=生命の輪廻を永遠に繰り返す。
祝祭には誰かを連れてきて良い(詳細はあんまり言わないwww)=外の血を交配させ近親相姦を防ぐ(ただし、聖書的なものを各役割を果たすため、意図的に近親相姦で障害者?を誕生させるらしいが、突然その人間が死んだ場合どうなるのかは明言されず。私の考えだけどこれって人為的につくりあげそう。ラストのクリスチャンみたいな感じで)。
薬草や花の効能を活かして大事な儀式をする=その土地で産まれ死ぬモノは皆「家族で共同体」だから。
後ろ向きで花を摘む=新たな命(これから生える草)を踏まないようにするため?
とかね。いろいろ考えると楽しい。生命のサイクルを四季に喩えるのも自然(その土地)と一体である為とか…。

皆が階級の上?の人の仕草を真似することについては、彼らなりの「家族・共同体」との共感の仕方なのだ。つまり彼らは孤独を知らないコミュニティということなのだろう。個よりも全体を極めるとああなるのか。少人数かつ隔離された空間でないと無理だけど。

この共同体の構造を見ていると、エンデの「はてしない物語」に出てくるとある種族を想起させる。共通点は、共同体という全体をひとつの生き物のように機能させる性質。相違点は、感情の共有の在り方。ミッドサマーでは家族の喜怒哀楽は我が喜怒哀楽と同一となるので、性交時は家族の姉妹や娘とともに喘ぐし、家族が贄とされ悶え苦しめば共に悶え苦しむ。
そして、突然リアルの家族を亡くし天涯孤独の身となった主人公ダニー(しかも彼氏はまったく頼りにならない)は偶然か必然(故意)か女王となり「家族」となった。
彼女の悲しみは共同体みんなの悲しみとなる。
精神を患った妹に苦しめられ、自身も抗不安薬や睡眠剤を常用していた主人公。友人も当たり障りのない反応を返すばかりで自分の苦しみを理解してくれる人が周りにいなかった。彼女の家族が生きている間でさえそうだったのであれば、その死は彼女に罪悪感と絶対的な孤独感を与えたに違いない。
この共同体ホルガにいれば、たとえ死んでも家族(両親と妹)+「家族(ホルガ)」と繋がり続けていけるのだ。もう寂しくはない。だからこそラストシーンでダニーは微笑んだ。のかなぁ?
そうすると、監督がこの映画をハッピーエンドと言っていたとしても納得が行く。

映像と音楽は謎の緊張をはらみながらも、美しさを失わない演出がなされていて良かった。
ホルガにやってきた主人公一行が入村?したシーンで、殿を歩いていた美少年がこちらを振り返るシーンでは、観客をもこの異空間ホルガへ誘っているようでゾクゾクする。

ハッパをキメてぐにゃぐにゃぁっとなるシーンもすごく幻想的。不思議の国のアリスみたい。

グロシーンもあるが、あそこまで丸見えだと怖さとかは感じない。花を両目にぶっ刺されて皮を羽根のように剥がされ吊るされていたシーンとか、グロ美しい。

あ、でも最後までよくわからなかったのは例の障害者の「曇りなき目?」の見ていたことや考えていたことかな。あと偶然が必然(故意)かってこと。この当たりで色んな解釈や考察ができそう。

にしても、監督はよくこんなシュールすぎる祝祭を考えつくもんだ。たまげたね。これは良い変態。
流之助

流之助