ワンコ

最後にして最初の人類のワンコのレビュー・感想・評価

最後にして最初の人類(2020年製作の映画)
4.5
【考察: 隠されたメッセージ】

この作品は、音楽と、映像と、朗読を組み合わせた、ある意味で、究極の総合芸術を目指したのではないかと思わせる。

映画はもともと総合芸術と呼ばれていたように思うけれども、その定義は曖昧だ。

なんか、この映画は素晴らしいです!皆さん、見てくださいと説得力を持ったレビューになってるとは到底思えない気がする。ごめんなさい。

ヨハン・ヨハンソンは、アコースティックとエレクトロニカ(電子楽器)を融合させたポスト・クラシカルの牽引者と言われた人だ。

坂本龍一さんが、この映画のフライヤーに哀悼の寄稿を寄せたように、多くの人から尊敬を集めていた。

この映画では、バックグランドに人の歌声が合わさったり、更に、風や水滴の自然音が奏でられ、坂本龍一さんにも通じるところがあるように感じたりする。

ヨハン・ヨハンソンは、SF「あなたの人生の物語」を原作にした映画「メッセージ」のサウンドトラックも手がけており、この作品の制作について知った時は、SF繋がりなのかと考えたりしたが、原作「最後にして最初の人類」で、海王星に移り住んだ人類が、音楽こそが宇宙の真理だとして、更なる覚醒を目指す場面を思い返して、これこそが、この原作を映像化しようとした動機なのだと思うようになっていた。

しかし、この映画「最後にして最初の人類」を観て、この映画に語られないところに、実は、大きなヒントがあるのではないかと考えるようになった。

この原作は、1930年にイギリスの作家ステープルドンによって発表されたものだ。

かなり乱暴な概略で恐縮だが、

ヨーロッパで大きな戦争が起こり、アメリカが介入、アメリカがヨーロッパを支配するようになるが、同時にアジアで中国が台頭し、アメリカと争うようになる。最終的にアメリカが勝利を収め、世界政府が樹立される。
しかし、人間の愚かさは残り、新しく発見された(原子力のような)エネルギーの過度な使用で、地球の汚染が急激に進み、人口が急減し、なかには類人猿まで退化してしまうものも現れてしまう。
その後、知的な人類が繁栄を取り戻すが、今度は火星人が襲来、人類はこれを退けるが、人類は火星人の特徴を備えた新たな人類を創造し……と、

1930年発表の原作は、その後の第二次世界大戦や、原子力エネルギーの発見、遺伝子操作技術の確立などを思わせるところがあり、マニアの間では、一時、これはSFではなく、予言の書だと騒ぎ立てるものが出るほどだった。

物語の中の対応する年月を正確に思い出すことは出来ないが、この後、人類は居住に適さなくなった地球を捨て、金星に移住し、更に、太陽活動の変化のために、海王星に移住せざるを得なくなったというストーリー展開だったと思う。

冒頭で少し触れた、音楽こそが宇宙の真理という話は、海王星に移住した人類が考え始めるものだ。

このように、この原作は、SFや予言の書というより、壮大な寓話だと言った方がしっくりする気もする。

ステープルドンは、神話だと語っていたという記録もあるようだが、壮大という点では、その通りかもしれないと思ったりもする。

この映画「最後にして最初の人類」は、20億年後の未来の人類から、現代の人類にメッセージが届くという形になっている。
しかし、何をどうしろという具体的なものはない。

実は、ヨハン・ヨハンソンは、この原作を世の中の人にもう一度読ませたいか、今、人類として対応すべき問題を想像して欲しいと考えたのではないかと思っている。

米中の対立は現在の大きな問題だ。
確かに、その前には米ソの冷戦があり、今の米中の対立は、ステープルドンが考えたような人種の対立ではなく、どちらかと言うとイデオロギーに人種の感情が混じった対立かもしれない。
しかし、この対立によるリスクは計り知れない。
原子力エネルギーの危険性は、広島と長崎に落とされた原爆、ビキニ諸島の水爆実験、チェルノブイリと福島の原発事故で明らかだし、遺伝子操作も人間の倫理観を損なうリスクを孕んでいる。
そして、環境汚染は待ったなしの状態だ。

決して正確ではないにしろ、ステープルドンというひとりの人間が、90年も前に、想像力を広げることによって、こうした人類のエゴも含めたリスクを物語として残すことが出来たのだ。

宇宙の摂理として、人類の存続に決定的な打撃となる太陽活動の衰退を防ぐことは不可能だろう。

しかし、その他の人類に由来する最悪な事態を想定して、これを回避する行動を取ることは可能ではないのか。

映像に映し出されるスポメニックは象徴的だ。
ユーゴスラビアは、第一次大戦後に、ウッドゥロー・ウィルソンの唱えた民族自決を背景に誕生したが、複数の民族をベースにした連合国は拡大し、ドイツの侵攻を経験した第二次世界大戦の後は、モデル社会主義国として、チトーの指導の下で世界的に注目された時期もあった。
しかし、その後は、経済的に疲弊し、ソ連崩壊後は、分裂、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、スレブニツァの虐殺と呼ばれる、8000人もの大量虐殺が起こり、複数の民族の連合が虚飾に満ちたものだったことが明らかになった。
(※ スプレニツァの虐殺は、「アイダよ、何処へ」として映画化されています。)

何をユーゴスラビアは間違ったのか。
何を社会主義は間違ったのか。
何を世界は間違ったのか。

20億年後の僕達と姿形の全く異なる人類からメッセージをもらうまでもなく、逆説的に、僕達は想像して行動できるはずだと、ヨハン・ヨハンソンは、伝えたかったのではないのか。

想像力を働かせるまでもなく、解決すべき課題はすでに提示されているとも思う。

しかし、唯一、想像力を与えられた生物として、何を成すべきか、考え続けることは決して無駄なことではないと信じたい。

想像力を働かせて生きなさいというのが、この映画の隠されたメッセージのように今は思う。
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