えーみーる

セブンのえーみーるのレビュー・感想・評価

セブン(1995年製作の映画)
4.2
ダンテ神曲

ダンテは暗い森の中に迷い込んだ際あるローマ詩人に導かれ、地獄、煉獄、天国を巡る。その中の地獄篇では死後の罰を受ける罪人を見ることになる。この罪人たちにはあるランク分けが成されており、キリスト教の七つの大罪という考えが基となり「暴食、強欲、怠惰、色欲、傲慢、嫉妬、憤怒」が人間の大罪であるとされている。これらの罪を神に代わり罰するのが犯人の目的でありストーリーは進む。

醜いほどに暴食し膨張した体の男。私利私欲の為に罪人を世に放つ弁護士。廃人の男。性病の売春婦。見かけにばかり気を取られプライドだけが磨かれたモデル。
これら5人に制裁を加えた後、主人公であるミルズ刑事の妻とお腹の子を殺した事を告げ、自身を射殺させた。

憤怒の罪を着せられたミルズ刑事は生きたまま物語は幕を閉じた。また、犯人は嫉妬の罪による裁きを受けたとされているが、あまりにも彼は嫉妬とはほぼ遠い意志を持っていた。そして七つの大罪に対して死んだのはお腹の子を含んだ八人。そこで七つの大罪ではなく、その基となった八つの枢要罪に当て嵌めている説が浮上している。他にもあらゆる考察が飛び交っている。

宗教的な話題であり、アメリカ保守派の中絶に対する文化についてや様々な考え方が浮かぶ。実際に七人がそれぞれの罪により死亡しているわけではないため、深い考察を誘発した終わり方だった。



私の中で最も残っているセリフが、サマセットの「もしジョン・ドゥ(犯人)を捕まえて、ヤツが本物の悪魔だとわかることが、俺たちがそうであって欲しいという展開かもしれない。だが、やつは悪魔じゃない。ただの人間だ」という場面だった。

この考え方は私が日常で常に感じている事だった。どれだけ私自身がある特定の人物に憤りを感じて悪人にしたいと思ったとしても、相手はただの人間であり少しの過ちや考え方の相違で誰かにとっての悪魔になりうるということ。誰かが罪や過ちを犯しそれに制裁を加えたいとしても、相手には信念がありそれが100%悪意に満ちたモノである事は殆どない。つまり理想的なバットエンドの中のハッピーエンドは存在しない