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SLEEP マックス・リヒターからの招待状のaeuのレビュー・感想・評価

4.4
またしても超ウルトラ長文だけど、推敲して短くまとめるだけの暇がないのでそのまま投稿😇
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仕事をして、家事をして、残った時間は◯時間。そのなかでやるべきこと、やりたいことあれこれ詰め込んで、次はこれ、次はあれ……時間が足りない、あれをしながらこれをしよう、移動時間も効率的に使おう——

やるべきことも、やりたいことも多すぎて、
時間はいくらあっても足りないような気がして。

日々の生活をこなしていくなかで、
「脳が休息を欲しがっている」
そう感じることがアラサーを過ぎてから急激に増えた。
きっと私だけじゃない。
世の中が便利になっていくにつれ、いろんなことが時短できるようになった。にも関わらず、その浮いた時間をゆっくり「なにもしない」という選択が為されることはなく、その時間で新たなできることを詰め込んでいく。

現代の人々は忙しすぎる。

そんな脳が沸騰直前な私に、あなたに、
この作品は必要なものをくれる。



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最初、コンサート会場の“客席”を観たとき、
「ベッド近っ!こんな状況で無防備に寝られるか!」なんて思ったけど。
思っている以上に、皆が皆、安らぎや休息を欲しているのかもと最後は思ったな。


『携帯だけは切って』

それは、一般的な演奏会と同じで、携帯電話の音が演奏の音の妨げになるからだと思っていたけれど、たぶんそうじゃない。
もちろんそれもあるだろうけれど、もっと重要視されているのはきっと「一切の情報からの遮断」。

瞑想よりももっと自由だ、立ち歩いたり考え事をしたりしてよいのだから。

脳の解放。

本来人間にはそういう時間が必要だ。

そういうことを、この99分間の作品の開始10分足らずで実感してしまう。



暗い部屋のなか、ベッドの上で鑑賞した。
暗闇のなか光るのは、控えめな間接照明一つと、スマホの画面が映すこの映画の青い映像だけ。
両耳にはもちろんステレオタイプの高音質イヤホン。その上にイヤホンごと耳を包み込むようにヘアバンドをしてルームウェアのフードを被って観た。没入感はひとしおだ。

演奏が始まり、両耳へ流れ込んでいるだけのはずの音楽は、まるで自分が実際にそのコンサート会場に居るかのように「全身に」振動を伝えていく。
比喩でも誇大表現でもなくて実際の感覚の話。

体中に響く重低音が、
意識をどこか別の世界へ誘う。
『向こう側で会いましょう』
その言葉の通りここではないどこか、現実から離れたどこか。日々の生活から切り離してくれる。

まるでバーチャル体験でもしているかのような不思議な感覚。
それは彼女の言う通り『全く新しい音楽体験』。


この感覚は劇場でなければ感じられないだろうと思っていた。
所詮はドキュメンタリーだし、追体験をできるわけではないだろうと、期待はしていなかった。

でも実際は想像を超えて心地の良い時間だった。
幸い(と言っていいのかわからないが)私はよほど注意してリスニングしなければ、聞こえてくる英語は意味を持たない音にしか聞こえない。それも良かった。
吹き替えであれば、それは過多な情報になってしまっていたかもしれない。

普段私は映画を観る時、作品に詰め込まれたものをできるだけ見落とさないように、取りこぼさないようにと、集中し見て聞いて読んで考えて理解しようとして、五感をフル活用する。
この作品は、字幕や台詞をそこまできっちり受け取りにいかなくてよい、と私は思う。
ただひたすら音楽に耳を傾けて鑑賞するも良し、目を閉じて鑑賞するも良し、なんならうたた寝もアリなんじゃないかって。それが許される作品な気がする。自然に入ってくるものだけ感じていればいい。

それはとても心地が良い。
無理がない。疲れない。自由だ。
野外なのもいい。自由だ。

本来、人に与えられた時間は、こんなにも自由なはずなのだ。

8時間。決して手の届かないような時間じゃない。誰もが持っている時間の一部だ。
休みの日であれば、すぐにでも捻出できるだけの時間。
でもこの8時間は、なんてたっぷりに感じられるだろう。なんて贅沢なんだろう。

温泉旅行なんかに行ったりした時の静かな夜みたいな感覚。
丸一日森林浴に行くのと少なくとも同等以上のリラックス効果があるように思う。

いつのまにか呼吸が浅くなって息苦しくなっていた毎日に、深呼吸をさせてくれる。


その体感をするのであれば本作の鑑賞ではなくマックス・リヒターの音楽を聴けばいいという人もいるだろう。
それでもなおこの作品の再鑑賞を選択する必然性があるとすれば、一つは「音楽以外の要素にもリラックス効果がある」ということ。

流れるのは、心地の良い音楽と、果てなく続く空と緑、流れゆく雲、風が木々を揺らす音、葉の擦れ合う音、鳥たちの鳴き声、自然界の映像、自然界の音。
車の走る音、飛行機の飛ぶ音。
それ自体が意味を持たない音は心地が良い。
映像全体がビビットな刺激は持たない、目に耳に心地良く流れていく夜の静けさ、夜の包容力。

時々、絶妙な時間に会社から帰宅をすると、車は走っているし店や建物の明かりは付いているのだけど、人ひとり歩いていない、そんな空間に出くわす瞬間がある。
そんな時、自分だけが異次元にいる心地になるのだけど、そんな感覚に似ている。


そして二つ目に、この「スリープ」公演を体感する人たちの様子を眺めるのも一つの安心感や癒しになるということ。
朝を迎えた時の清々しい顔も見ものだ。
そう、8時間ではなく99分間で、この体感からの清々しい朝を迎えるという追体験までできる。それも再鑑賞を選択する必需性となるんじゃないかなと思う。まあ人それぞれだけど。



『創作活動は——ある意味自分を癒やす行為だと思う。自分が聴きたい曲を自分で作るんだ』

『会場で眠る全ての人が繊細さを抱えてる。弱さや繊細さこそ彼が語りたいことだと思う。それが人間や世界に対する正しい理解につながる。人間は完璧じゃない。その中で最善を尽くすのが人間の本質でしょう?』

『無重力の宇宙空間を漂っている感覚だった』と言った人がいたけれど、わかるなと思った。



ただ、前日夜通しリハからの8時間ぶっ通し演奏は、ただただしんどそうだ😂😂😂



なんとなくFilmarksでのレビューの評価が二極に分かれている気がしたので、もしかしてつまらない作品なんじゃないかって、99分耐久戦みたいな気持ちで観ることになったらどうしようって、失礼ながら懸念はあった。

実際はあっという間だった。
気づけば映像のなかの景色は朝を迎え、映画は残り15分を切っていた。
なんだかとても素晴らしい体験をした。
この作品に出会えてよかった。

気が付けば頑張りすぎてしまう日々の中で、疲れてしまった時に、また何度でも感じたい、体感したい、そんな不思議な作品。

朝日とともに終演を迎えた。
この体験をしたあとに迎える朝は、きっといつもより素晴らしく感じるに違いない。
何も特別なことがなくたって、世界はこんなにも素晴らしいのだと、そんな気にすらさせてくれるかもしれない。
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