くりふ

マシュー・ボーン IN CINEMA 赤い靴のくりふのレビュー・感想・評価

3.0
【赤軽い靴】

これは(当時)昨年、来日公演に行きたかったが、忙しいし難しいなあ…とチケット押さえないうち、公演中止になってしまった。

生舞台は、幾ら精緻な映像記録でも、記録でしかないので、こうした映像作品には期待しません。例えば、優れたダンサーほど発する“気”が、映像には残らないのですよね。

でも原作映画は大好きだし、音楽も何故にバーナード・ハーマン?と興味を惹かれ、行ってみた。

ヒロインのビクトリアを演じる、アシュリー・ショーの身体表現力が素晴らしかった!その素晴らしいという“こと”は映像記録でも存分に伝わり…というか理解できて、見た甲斐がありました。

また原作にはなかった、終盤、劇中劇がその外に侵食してゆくおそろしさに、少しだけゾクゾクできました。この演出は巧いと思った。

それ以外は、体験としてはまあ面白かったものの、作品としてあまり良いとは思えなかった。やっぱり映像化で大切なものが大分、こぼれ落ちた気がして仕方なく、生舞台でないと正しく存分には受け取れないのだろうな、とは思う。

その上での内容感想ですが、1948年当時の男女ヒエラルキーが基の物語を、こう無理に生かしても、基本的にキビシイなあ…と思いました。精神的かなめで、意味の深掘りもできた“赤い靴”が、何だか軽いです。はじめ、それはブラジャーに見えたりしました(笑)。

ダンテの神曲的?な、地獄巡りにまで踏み込む…だから神父の登場が意味を持つ…原作に比べると、あえてある面、わかり易くしているとは感じつつも、現実的で、ずいぶん狭い世界観だなあと思いました。

原作映画で、ヴィッキーを赤い靴へと誘惑する謎の靴屋には、明るいピエロの如く振る舞いながら、得体の知れぬおそろしさがありました。こちらでは、表向き華やかな業界で、女を売り物にする“女衒”のイメージで売っています(笑)。

どうもそこから、ジャンプしてくれない。で、せっかくヴィッキーを原作とずらし、自ら強引にでも踊る女として始めているのに、結局は“男に踊らされる女”として絡み取られてしまう…。

それだけ原作の呪縛力が強烈だった、ということなのかな?

現代では、家庭を持ち子を成しても、一線で踊り続けるスターダンサーは存在するし、本作の結末では最早、アナクロだと思うのでした。

音楽は、サイコロジカルな趣のあるハーマン節が、人物の心象として響く所は、なるほど効いていました。ご本人は亡くなっているから、既存曲をアレンジして使っているようですね。温故知新の好例かと。

が結局は、リメイクはもういいから、原作映画を大画面でまた、見せて欲しい!と思ったのでした。

<2021.4.3記>
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