幽斎

インフル病みのペトロフ家の幽斎のレビュー・感想・評価

インフル病みのペトロフ家(2021年製作の映画)
4.2
「LETO レト」Kirill Serebrennikov監督が、インフルエンザで意識朦朧な主人公と家族が遭遇する摩訶不思議な体験を、18分長回しショットを駆使して描く、インフェクション・スリラー。京都のミニシアター、出町座で鑑賞。

カンヌ映画祭コンペティション正式出品、パルムドール候補。撮影監督Vladislav Opelyantsバルカン賞。カンヌでも名立たる批評家を驚かせたのは、ロシア演劇界の鬼才Serebrennikov監督。国の予算を横領した疑義で起訴、自宅軟禁中に不条理な状況下で本作の脚本を執筆。軟禁下でフランスとスイスの制作会社が着手、監督はドイツに亡命。

原作はロシア文学界でセンセーションを巻き起こしたAlexey Salnikov著「インフル病みのペトロフ家とその周辺」。世界的なベストセラーだが、残念ながら日本では翻訳本が出版されず。原作を現代風に解釈、ポスト・ソヴィエト時代の迷宮的ポートレートを映像化。ロシアのエカテリンブルクで、インフルエンザが流行。ペトロフは高熱に魘されるが、妄想と現実の間を行き来する内、ソヴィエトの子供時代へ回帰。

2004年を現在地とするロシアの出来事、1976年のソ連の記憶。妄想と現実のシームレスな関係性。時間も空間も超越した自殺に至る18分間の長回しショットは圧巻。私は学生時代からロシア文学と映画をリスペクトしたが、ハリウッドの商業映画とは違うレトリックを存分に堪能。発熱か?、ソレとも狂気か?。ペトロフの体験を観客に感染させる面から火が出る映像。圧倒的なシークエンスに、貴方も思わず溜息が漏れるだろう。

一言で言えば「良く解らないけど面白そう」←コレで良いんです(笑)。ロシアは文学も映画も常に哲学的で観念的な演出や技法で、注釈を入れなくても分かるアメリカ映画の対極。プロットはMANGA「漫画」を描くのが好きなペトロフがインフルエンザで咳き込む様子から始まる、息子へ感染、そして妄想の世界へ。現代らしい見所も盛られ、男同志の銃殺戦、図書館の衝撃的なアクションシーン等、音楽もロシアお得意のクラッシックでは無く、ロシアの人気ラッパーHuskyとAntonio Vivaldiの名曲「四季〜冬」コラボレーション。フラッシュバックの画角をスタンダードに切り替え、モノクロで映す技法も秀逸。

監督は演劇やバレエで世界的な名声を得て、外貨獲得の為に映画にも進出。クリミアを併合したVladimir Putin大統領を批判する記事を連載。それが原因で?補助金に関する汚職容疑で執行猶予付きの有罪判決。前作「LETO レト」カンヌのコンペティションに選ばれても出席出来ないのは、映画祭に照準を合わせて逮捕された思惑が強い。審査委員長Cate Blanchettもロシアの対応を批判した。因みに監督の母親はウクライナ人。

劇場で監督から「私の真の目的を考察して見ろ!」挑戦状を叩き付けられた気分。望む所と言いたいが、現実も妄想も一緒くたを真面目に考察しても、実は余り意味は無い。ロシア人は何時の世も「昔は良かった」口癖。ソ連崩壊でMikhail Gorbachevは国を売ったと売国奴扱い。クーデターで実権を握ったBoris Yel'tsinは連邦を崩壊させたと犯罪者扱い。では、Dmitrii MedvedevとVladimir Putinは?。国民は何でも政治家が悪いと言うがソレを選んだのも国民。今も昔も「狂犬」と呼べる指導者でないと国を束ねる力は無い。秀逸なのは意味不明なシーンも全体を俯瞰すると現実の「何かが」見える。ロシア映画らしい緻密な構成にも「目」を留めて欲しい。

鑑賞後、どぉ~しても気に為るので京都の大学で露西亜文化を教える友人に頼んで原作のハードカバー「Petrovy v grippe i vokrug nego」から要点を教えて貰った。面白いのは原作では冒頭の銃撃戦、撃たれる側の富裕層はプーチンとして描いたらしい。そりゃあ拘束される訳よ(笑)。プロットの運命共同体の答えはBUS。バスの場面から始まり、ラストもバスで終わる。乗り合わせた人達はロシア国民、バスは運転手では無く車掌が取り仕切る。気に食わない事を言うと、停留所でも無いのに降ろされてしまう。ソレを見てバスから降りる人。車掌の行動を止める者も居るがソレを罵る人も居る。全てはロシア国内の実情と重なる様に私には見えた。

もう一つのプロットは「アホな男と現実に直面する女性」。ヨールカ祭はロシア版Xmas。雪娘はサンタクロースの孫娘、ロシアの子供達は雪娘に願いを叶えて貰おうと祈る。男達は想い思いに現実逃避を楽しんでるが、女性はもっと深刻な問題を抱える。幼いペトロフはマリーナを本物の雪娘と信じ込む。マリーナも妄想好きで、出会った男を頭の中で裸にする。しかし妄想は何の役にも立たず、恋人の子供を孕む厳しい現実に直面。ペトロフの雪娘は幻想のまま美しい思い出、昔は良かったと記憶に逃げる。家族単位でロシア女性の精神的な立ち位置の不安定さを捉える視点が斬新。ラストでバスに乗り込む男性、女性は運命共同体からも見放されてる様にも見えた。COVIDを予言した様な世界線が現代ロシアが迷走する姿に繋がる。監督、私なりに論破しましたよ(笑)。

Putin政権の最期か、それともロシア連邦の崩壊か。私達もカオスの渦の中に居るのだ。
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