幽斎

女神の継承の幽斎のレビュー・感想・評価

女神の継承(2021年製作の映画)
4.0
恒例のシリーズ時系列
2016年 1.0 Gokseong 本作の元ネタ、静かで平和な村が舞台のサイコ・スリラー
2021年 4.0 Rang zong 本作、舞台はタイへ

ハリウッド映画「ABC・オブ・デス」注目を集め、タイで歴代一位のヒット「愛しのゴースト」Banjong Pisanthanakun監督が描く全世界注目のモキュメンタリー・スリラー。京都のミニシアター、出町座で鑑賞。

アカデミー最優秀国際長編映画エントリー作品。Na Hong-jin監督は続編を考えたが前作が「チョッとヤリ過ぎたかも」原案と製作に留め、舞台をタイへ移して制作。でもヤッてる事は本作も五十歩百歩。日本のSYNCAはアジア系に精通しておりレビュー済「英雄の証明」等、コンペティションな作品を届けてくれる優良会社だが、此の作品へのアプローチには首を傾げる。本作の大前提は「モキュメンタリー」。世界初のファウンド・フッテージのレビュー済「ジャージー・デビル・プロジェクト」二番煎じに過ぎないが一番有名なのは「食人族」。分った上で楽しむのがお約束だが、SYNCAは意図的に隠してる。

作品の雰囲気を壊したく無かったとSYNCAをフォローするが、ピュアな方は後で「何だ、フェイクかよ」怒り心頭の恐れも。「パラノーマル・アクティビティ」怖くて映画館で失神した方も居た、良いモキュメンタリーの課題。SYNCAの予告通り、精巧なリアリティ一辺倒、日本が世界に誇る「カメラを止めるな!」オチャラケはコレっぽっちも無い。監督のデビュー作「心霊写真」同様、トラウマを呼び起こす怪しい雰囲気に満ち溢れる。

私は生粋の京都人ですが、釈迦が説いた「五戒」と呼ばれる戒律が有る事は、日本人にも余り知られてない。「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒」の5つ。全てに「戒」の通り、自らを戒め日々穏やかに暮らす悟りを説いた。五戒を訳せば無暗な殺生はしない。他人の物を盗まない、不貞な性行為をしない、嘘をついて騙さない、飲酒をしない。戒めは現代の私達にも通じるモノが有る。

私は元クリスチャンですが(忙しいな(笑)。キリスト教は戒律を破れば罰が与えられる。しかし、仏教は人としての戒めを守らないと、破った分だけ苦しみが返って来る。つまり因果応報を諭す点が大きく異なる。ヤサンティア家は、その昔人々を無暗に殺し、近代には犬肉を販売して食べた。先代は保険会社を騙し保険金を得ようとした。カンボジアの国境に近い地域は、犬を食肉とした文化が有ったので、義母はカンボジア難民と推定。仏教では殺生は最も重い罪、人鑿ならず悪霊に依る恨みの力は極めて強い。

同じアジア圏「呪詛」台湾も負けてない。ホラーの掟破りと絶賛され、ナルホドと思うのはスリラーは監督と観客との頭脳戦、ホラーはフィクションで、監督と観客とが「共犯関係」を生み出す、カルトな世界観。ルーツは日本の怪談話と信じて疑わないが、水木しげる先生の妖怪も含め、超自然的な要素と日常との境界線が恐怖の源泉。SYNCAはレーティング「R18+」にしたが、犬を生きたまま釜茹でにして殺して食べる事は、事前に観客に伝えるべき。赤ちゃんを殺すシーンは、インターナショナル版では削除されたが、自分達の感性が国際的に受け入れられない事は承知してる様だ。英米の理解を超えた演出と思想が尖ってると誤解してる韓国映画を私は全くリスペクト出来ない。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

ノイは女神を拒んだ挙句ニムを騙して巫女に仕立る。犬肉の販売を受け継いでマックはミンと近親相姦、飲まない酒を飲んで、多くの男と不毛なセックスをした。お察しの通り「五戒」と真逆の方向へ進むのは、薬物に溺れると再起が極めて難しいのと同じく「戒律は破るのは容易く、守るのは難しい」。ノイは戒律さえ疎ましく、精霊を裏切りキリスト教へ改宗。宗教あるあるで、キリスト教は傍目には華やかで優しく見える。しかし、戒律を破れば厳しい罰が神から与えられる。本作の「真犯人」は誰が見ても明白なのだ。

私は行った事無いがタイに住んでた友人に依れば、仏教やバラモン教の他に、古代から伝わる「ピー信仰」が有るらしい。冒頭で語られるピーとは精霊の事で祀る習慣は、多くのアジア圏で見られるが、家系に「継承」される先祖霊、生前の功績で善良な霊にも悪霊にも為り得る。自然界の霊は樹木に宿ると言われ、日本の樹木葬のルーツ。日本人なら精霊は守護霊と考えると分かり易い。ヤサンティア家は、ニムの家系のバヤン、善良な精霊とは異なり家族単位で忌み嫌われ、土地で暮らせなく為るタイの実情と重なる。日本の神道「依り代」聞いた事は有ると思いますが、神霊も依り憑くがニムの家系が依り代、サンティは除霊で力を合せミンを救う事が出来た。しかし、ニムの依り代は偽りで死に至り、サンティは部屋の封印を解かれて死に至り、憑りついたミンの悪霊はヤサンティア家を根絶やしにして、一族は葬られた。

キリスト教の悪魔が憑依するエクソシスト、霊が宿る東洋的な不気味さを、現代風にミクスチャーして極限まで描写を強め、ソレをモキュメンタリーと言う殻で包んで見せる。或る儀式を凶々しく見せるプロセスは、ハリウッドには無い手触り。自然や風土が織り成す、湿り気を帯びたアジアン・テイストが、ドライな欧米人から見ても神秘的に映るのだろう。上手く見せてはいるがプロットは「ほんとにあった! 呪いのビデオ」映画版。後半の展開は「パラノーマル・アクティビティ」のパクリ。韓国映画にオリジナリティを感じた事が1㎜も無いのは、何故だろう?。

キリスト教の悪魔は罪を犯した者を直接罰する。悪霊は加害者だけで亡く、一族郎党皆殺し、罰にも連帯を求める点が大きく異なる。愛する家族や子供が犠牲に為る事を恐れるなら、罪は犯さない。孔子の「儒教」も含め、祈りの先に有るのは希望なのか、絶望なのか、ソレは常に貴方次第だと警鐘を鳴らしてる。

人の業「カルマ」とは何かの仕業では無く、積み重ねた悪因が齎す結果なのだと思う。
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