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デューン 砂の惑星PART2の盆栽のレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.9
DUNEが時代を超えた


 『DUNE PART1』から約2年半。遂に待望のPART2、そして原作の後半部分の映像化。キャスト・スタッフは前作とほぼ同じで、絶対的な信頼を持って劇場へ。結果としてあまりの衝撃に鑑賞後は頭の整理が追いつかず、スコアを決めれない状態に。初見はIMAX先行上映で鑑賞したのですが、今はレビュー書くことすらできないと判断したため、本日(3/15)再度鑑賞。その直後にこのレビューを書いています。
 2回デューンの砂を全身で浴びたからこそ断言できる。本作は嫌なほど狂ってる。史上稀にみる弩級の超傑作。芸術作品としての完成度も高く、スタンリー・キューブリックの域にドゥニ・ヴィルヌーヴが一本足を踏み入れた瞬間。サンドワームこそ我々に知恵を与えてくれるモノリス。これからまともに映画を観ることができるのか心配になるレベルです。

「あまりにも壮大」「エピック」

 『PART1』のレビューではSF映画の頂点(『2001年宇宙の旅』『スター・ウォーズ』)をリアルタイムで観ることができなかった若い映画ファンへのラブレターのようだと書きましたが、本作はそのラブレターに対するアンサー。私たちは新たな「頂点」を目撃できた幸運な映画ファンです。これが『帝国の逆襲』を公開当時に劇場で観た映画ファン達の感覚なのかもしれません。もちろん本作にも無数のモノリスを越える"なにか"がスクリーンに存在していることはたしか。その"なにか"が『PART2』で分かった時の気持ち良さと感動は言語化出来ません。そしてIMAXでしか味わうことのできない圧巻の映画体験。これを越えるIMAX体験が今後もできるのだろうか、とIMAXの最高到達点を知ることになります。

 ストーリーに関しては、原作の前半部分を完璧に映像化した『PART1』とは異なり、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は原作の後半部分を原作通りに描きつつも、完全に発展した独立したストーリーに変えるという素晴らしい仕事をしたと思います。ポール・アトレイデスが戦う内なる道徳的な乱れは、最近の映画で見た中で最も興味深いテーマの一つでした。チャニの描き方も原作とは異なり現代的なキャラクターへと昇進しています。判断力を持つ強い女性像としての描き方は素晴らしい判断です。
“I won’t be fighting for him. I’m fighting for my people.”
「彼の為に戦うんじゃない。民の為に戦うの」
 劇中でチャニが放つ一言。彼女の強さはフレメンから生まれる。屈指の名言の一つです。

 新たに参加したキャストも含め、度肝を抜く豪華キャストの数。その中でも真の目立ちを発揮したのはオースティン・バトラー。彼が演じるフェイド=ラウサはリンチ版でスティングが演じたのとは到底異なる存在。まさに劇中でイルーラン姫が発言していたように異常者そのもの。彼のスクリーン時間は予想よりも短かったのにも関わらず、彼が育てる恐怖の深刻さは驚異的なものに他ならない。

 勝手に定義付けした『DUNE』の核「モノリスを越える"なにか"」とは"母性"なのではという答え。"母性"というワードはフランク・ハーバートが創造した『DUNE』の世界にあるのは当然のこと、そしてドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の一貫したテーマでもあります。『プリズナーズ』では失踪した子供に向き合う親たちの苦悩や愛が描かれ、母性の強さと脆さが浮き彫りにされています。同様に、『メッセージ』では異世界との接触を通して母性の本質が問い直され、物語に深みを与えています。それの"母性"が本作ではジェシカの人物像と重なり、胎内にいるアリアはスターチャイルドそのもの。ということは彼女は世界を見守る"神"だといえます。
 フランクとドゥニが関わっているからこそ、本作は桁違いな化学反応を起こし、映画として異常な域に達しています。

 『PART1』ではポールとジェシカの物語を構成することに時間を費やし、見事な「覚醒までの過程」を構築しました。そして『PART2』ではその覚醒がアンチヒーローを生むことになり、結果として「反英雄譚」としての作りになってしまいました。フレメンは預言者リサーン・アル=ガイブに忠誠を誓い、戦地へと向かう。この作り、どこかで観たことがあると思ったら『アラビアのロレンス』。ロレンスが砂漠の民を味方につける時の描写はどこか英雄とは言い難いアンチヒーローの面影がありました。
「この砂漠を制する者は、全てを制し、なにかを失う。」(『アラビアのロレンス』のレビューより)
まさにこの通りに。

 そしてもう一つある本作のテーマは「信仰」。原作にもこの要素はあるので急な展開には何ら違和感はありませんが、映像化された本作ではより一層鮮明に、そして恐怖の象徴として大胆に表現。フレメンが求めるリサーン・アル=ガイブ、ベネ・ゲセリットが求めるクウィサッツ・ハデラック。これらは全て彼らにとってのイエス・キリストと重なります。結果としてポールはフレメンにとってのキリストになるまでを本作で描き、産まれてくるアリアはベネ・ゲセリットにとってのキリストになるのか、それとも…

 しかし、本作を完璧な映画とは断言しにくい。私はポール・アトレイデスのキャラクターアークは楽しめましたが、彼の最終的なテーマ的結論は第3幕で少し急がれた印象。私の意見では、最初の2幕のランタイムを少し減らし、代わりにポールの有罪判決の急激なシフトを消すことに専念することができたでしょう。そうは言っても第1幕のフレメンの文化や生活風景を目にすることは新鮮であり、本作唯一と言ってもいい"憩い"の瞬間。

 何より、忘れてはならない人物が一人います。それは撮影監督のグレイグ・フレイザー。彼は前作でもオスカーを受賞したほどのずば抜けた実力を持っていますが、今までのキャリアを簡単に超えてきたのが本作。1シーン1シーンが絵画であり、「砂」と「闇」の撮り方をより完璧に。彼が撮る「闇」のリアルさは『ゼロ・ダーク・サーティ』『ザ・バットマン』で証明済み。それなのにもうワンランク上の映像体験をさせてくれたグレイグ・フレイザー。ロジャー・ディーキンスに並ぶ最強撮影監督に名を連ねることは確定しました。彼が撮る映像は合法なのか疑うほど依存性のあるドラッグそのもの。今回もオスカーは彼の手に渡るでしょう。

 総括して、本作は間違いなく一生に一度のタイプの映画体験。映画館で観なかったどこで観るつもりなんだ?と円盤やサブスクで初鑑賞する人達に言いたくなります。それほど絶対に映画館で観てほしい、ただそれだけ。

 まだ『DUNE』の映像化は終わらない、いや終わせない。最低でも次章『砂漠の救世主』までは映像化してもらわなければ原作ファンも本作を観終わった観客も納得しません。次なる『PART3』を心待ちにしています。映画史に残る三部作の誕生までもう少し。

 ガーニィの登場シーンでようやく彼の"あれ"が聴けます。最高。

2024.3.8 初鑑賞(先行上映)
2024.3.15 2回目
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