幽斎

ボイリング・ポイント/沸騰の幽斎のレビュー・感想・評価

4.2
年間で最も賑わうXmas前の金曜日、ロンドンの高級レストランを舞台に様々なトラブルに巻き込まれるオーナーシェフと従業員の沸騰寸前の人間模様を、ワンショットで描くスリリングなアンサンブル・ドラマ。アップリンク京都で鑑賞。

Philip Barantini監督は俳優出身、日本で観れる作品は「ゾンビアーミー 死者の軍隊」C級POVホラーしか無いが、短編「Seconds Out」高く評価され、続く「Boiling Point」22分の短編、本作の元ネタが新人監督の登竜門British Independent Film Awardsで、イギリスのメジャー・スタジオの目に留まり本作の完成に扱ぎ付けた。監督のシェフとして12年働いたエクスペリエンスも存分に発揮された。

本作は初めから「ワンショット」在りき、ではない。ロンドンでCOVIDのパンデミックが拡大する最中、都合4日間、毎晩2回、計8回の撮影を予定。しかし、主演「ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ」Stephen Grahamが、初日に「おいおい、こんなにスタッフが密に為るのは危険だ」監督に進言。用意された小道具はセットの至る所に隠され、カメラが別の場所を映す度に取り出された。撮影は僅か2日、4テイクに圧縮。因みにエミリー役Hannah WaltersはGrahamの嫁(笑)。

他のレビューを拝見して気に為ったので一時脱線。皆さんは映画の「カット」と「ショット」の違い、分りますか?。映画で最も大切なのは「編集」ですが映像の断片を日本ではカットと言う事が多く邦画はソレで通してる。しかし、英米では映像の最小単位はショット。カットは和製英語でワンカット撮影と言う映画は存在しない。巧みさで唸らせたのが「セッション」何処を見ても継ぎ目のない素晴らしい映画だった。

本線に戻ります。Xmas前の金曜日が賑わうと聞いて、電通に踊らされる日本人はクリスマス・イヴじゃないの?と思うだろうが、元クリスチャンの私が真顔で言いますけど、イヴは降誕祭の前夜祭。クリスマス直前の金曜日に御馳走として新鮮な魚を食べると言う教会の戒律が起源。原題「Boiling Point」科学用語の沸騰点と言う意味ですが、イギリス英語では我慢の限界。

秀逸なのは90分ワンショット(に見える)、次々に起きるトラブルが登場人物の限界、修復不能な事態が次々に迫り来る、アップテンポでスリリングなルーチンワークを逆手に取り、タイムアタックの様な効果を醸し出し、スリラー的な展開に持ち込む作劇が実に面白い。Grahamは「ボイリング・ポイント」我慢の限界を迎えたラスト、酒を断つ事を誓い、厨房に戻ろうとするが意識を失い倒れて終幕。私を含めて誰もが「此処で終わり?」思ったが、監督はインタビューで自身がシェフとして働いた時に酒に溺れ精神を病んで仕事が上手く行かない実体験を素直に反映させた、と語った。

ワンショット映画と云えば私の師匠Alfred Hitchcock監督「ロープ」起源と言って良いでしょう。オスカー作品賞に輝いた「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」時代への変化球、レビュー済「1917命をかけた伝令」素晴らしかった。しかし「ロープ」もテクニックでワンショットに見えるだけで、実験的な要素は免れないが、本作の様にCOVIDで止むに止まれず、正真正銘のワンショット(に見える)と言うのは極めて珍しい。だからシンプルに「凄い!」と言える。

「高級レストランの料理長」スタンスは一見すると特殊ですが、Grahamのスイッチが入った時、シェフの顔が前面に押し出される時は、誰が見ても腕も確かで頼りに成る。だが、プライベートでは「ボスの顔」維持できないジレンマを抱える。周りに居る人々は彼を頼る事に躊躇が無い。全ての決断を丸投げする事で、彼は遂にパンクする。本来なら周りの誰かが彼の異変に気づくべき。自分に精一杯で他者への思い遣りが欠けた結果を晒す。

此処まで書くと「俺の事かな?」自分の職場でも当て嵌まる事に気付くだろう。本作は高級レストランを、ミステリーで言うクローズド・サークル的に描くが、似たシチュエーションは何処にでも誰にでも有るのでは?と問い掛ける。監督の意図を読み取った方はラストで軽い恐怖を感じたと思う。プロットは労働の闇を浮き彫りにする「決して他人事では無い」職場でも家庭でも学校でも「他人を救えるのは貴方です」と。

名作「ディナーラッシュ」「二ツ星の料理人」の様な「お料理映画」ではなく、寧ろ鑑賞を終えた後でレストランで食事をしたいと思う方は別な意味で肝が据わってる。私もアップリンクを後にして、烏丸御池の「モーリスズ イタリアン」へ行きましたが、流石に食欲は減退(笑)。モダンナイズされたアメリカ風イタリアン・オステリアは、自家製生麺パスタがお薦め。ルーフトップバーは、大切な人との時間を華やいでくれるでしょう。
www.mrmauricesitalian.com

何の話でしたっけ?、あぁ映画でしたね(笑)。本作を観てレストランで働きたいと思う方も居ないだろうが、仕事のやる気に繋がる映画と云えば「リトル・ミス・サンシャイン」「グレイテスト・ショーマン」「マイレージ、マイライフ」名作が多い。「お仕事映画」邦画でも人気のジャンルだが、本作を観ると視点の違いが浮き彫りに。邦画は基本理念が「労働者搾取」成り立っており、映画を製作するスポンサーに配慮した結果、仕事は大変だけど情熱を傾けるのは素晴らしいよね!と労働賛歌に描く。品川駅で炎上した「今日の仕事は楽しみですか」広告、私は仕事こそディストピアだと思う。

働き続けなくても良いと言う選択肢は大切、人生のボイリング・ポイントを超える前に。
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