ブタブタ

魔法少女にあこがれてのブタブタのレビュー・感想・評価

魔法少女にあこがれて(2024年製作のアニメ)
5.0
ポリコレ、多様性、SDGズ(?)でゴミみたいな映画しか作れなくなったハリウッドディズニーマーベルは『ゴジラ➖1』『SHOGUN』の次はこの『魔法少女にあこがれて』を見て真のエンターテインメントについて今一度考え直した方がいい😎
『マダムウェブ』と同じ(?)《ヒーローとヴィランの戦い》をテーマとし、同じ(?)女性をメインとした作品なれど、ここまで気合いの入り方が違い全てが雲泥の差、ハリウッド資本のヒーロー映画がジャパニーズ萌え豚アニメの足下にも及ばん!なんて思う日が来るとは😱

まどかマギカ以降雨後の筍の如く量産され続ける所謂《オルタナティヴ魔法少女》モノの或る意味極北迄行った作品。
結論から言えば傑作、ネ申作品、覇権アニメ、ぶっちぎり、そして完全に狂ってる。

魔法少女が存在する世界。
柊うてな(違う声優さんなのに声が悠木碧にそっくりなのは何故?)は魔法少女トレスマジアに憧れるごく普通の陰キャ少女。
ある日プリキュアの妖精のエピゴーネンみたいなのに騙され《世界征服を企む悪の秘密結社》の《女幹部》にスカウトされ悪のヒロイン、マジアべーゼに変身し魔法少女との戦いという名目の変態行為に勤しむ。
この《女幹部》はどちらかと言うとスーパー戦隊における敵役、何故かやたらと露出度の高い格好した《女幹部》に近い。

この世界に於ける魔法少女とは言わばマーベル世界におけるヒーローの様な存在。
悪と戦い人々から賞賛される、ヒーローに加えてアイドルとしての役割まで持つ。
それ故に〈うてな〉の様な狂気的なストーカーファンを生み出す事となる。
うてな=マジアベーゼとは「魔法少女になれなかった少女」であり、プリキュアに於ける
「女の子は誰でもプリキュアになれる」を真っ向から否定する存在であり、ヒーロー(=プリキュア・魔法少女)になれなかった者達の《負のエネルギー》に満ちたスーパーヴィランである。
『ダークナイト』のジョーカー、『ザ・バットマン』のリドラー、彼らと同じくマジアベーゼを生み出したのは《魔法少女》でありヒーローはその対極の存在であるヴィラン無しでは存在出来ない。
ヒーローに憧れ、誰よりもヒーローに近付きたいと願った果ての狂気が最高にして最凶の《ヒーローフォロアー》を生む。

「正気と狂気の境界とはどこにあるのか?そもそも世界は初めからイカれていて、そこで理性だの秩序だのなんてものを保とうとすること自体が狂気の沙汰なのではないのか?」(『バットマン:キリング・ジョーク』より)

『魔法少女にあこがれて』はアラン・ムーアの『バットマン:キリング・ジョーク』ホアキン・フェニックスの『ジョーカー』にすら匹敵するマジアベーゼの《悪の誕生譚》であり、少女うてなの自らを抑圧する社会や学校(趣味の無理解、オタク差別、陰キャ差別等)からの解放と《魔法少女との対決》という異界への旅立ちと冒険、其れは多分に性的な物を含み先日見た『哀れなるものたち』にも匹敵する哲学的な深いテーマをも潜んでいる。

等とは半分冗談ですが(笑)
兎に角スゲーアニメ、正気とは思えない。
毎回こんな透過光の修正だらけのアニメ何て嘗てあったろうか。
魔法少女VS悪の女幹部というお題目の元に繰り広げられるのは触手プレイ、SM、露出、オムツプレイ、スカトロ、レズ、ロリ、の変態プレイのオンパレード。
変態サディストであるマジアベーゼと魔法少女トレスマジアの一人マジアアズールが特に変な方向に目覚めてしまい毎回マゾプレイの餌食になる。
マジアベーゼの《推し》はマジアマゼンダであるが、この魔法少女トレスマジアの3人が揃いも揃ってマジアベーゼに劣らぬ変態の集まりであり、
マジアマゼンダ=露出狂
マジアベーゼ=マゾヒスト
マジアサルファ=関西弁暴力女
という素晴らしい構成。

BD、DVDでしか《無修正バージョン》は見れないものの、あの透過光だらけの変態バトルシーンは最早現代美術的シュルレアリスムの域に達してるので《地上波放送版》(コレを地上波で放送してる時点で狂ってる)を見た方がいい。
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