うのち

私の解放日誌のうのちのレビュー・感想・評価

私の解放日誌(2022年製作のドラマ)
4.0
「マイ・ディア・ミスター(私のおじさん)」が、現在までの私の韓国ドラマベスト1。
同じ脚本家の作品であることと、評判のよさから視聴。

ク氏(ソン・ソック)は「マザー」から気になっていた、クールなワル顔俳優。なので、当初のク氏の設定にはぴったりだと思った。

ミジョン役のキム・ジウォンをはじめ、韓国ドラマではあまり存じ上げない顔ぶれが多く、ある意味新鮮さがあった。

このドラマが高評価なのは、登場人物の誰かに気持ちを添わせることができたりする人に高い支持を受けているんだろう。

現状の生活していく上での何かしらのしがらみからの「解放」は、出来ている・いないは別として、「(自分にとっての)しがらみとは何か」や「しがらみとの距離の置き方」「自分だけの時間の厳守」「自分だけの価値観の認識(他者との比較は不要)」などが分かっている側からだと、「ああ、まあみんなの言ってることは分かるけど、そんなに肩入れは出来ないなー」が正直な感想。

姉と兄の心情吐露が、本当にしんどかった。
姉はネガティブなときの言葉が、どう聞いても病んでるようにしか聞こえないし、気づきがあって自戒の気持ちが湧いてもすぐに元に戻っている、の繰り返し。極度な更年期か?薬処方して貰ってこい。

兄は中盤過ぎまで、独りよがりのオ〇ニー型理屈派。
兄の心情吐露と兄視点の言動の回はウザすぎて、何度脱落したいと思ったことか。

・・・まあ、役者に苛立ったり嫌悪を抱くというのは、それだけ役者が上手くてキャラクターになりきっていることなのだろうけど。


主役たちが言う「崇める」という言葉、直訳は合っているけれど、日本人の私とは「崇める」の捉え方がやや違うのかなーと思った。
きっと言いたいのは「無条件の愛情を抱いて大切にすること」なんじゃないかと思うんだが、これを「崇める」にしてしまうと、日本人は「崇め奉る」ような、神のように神々しく扱うと捉えてしまうのではないかと。

あーもしかしたら、宗教というものすらも「しがらみ」になっているのかもしれないな。韓国のみならず。
毎週家族と礼拝に行っているテフン(イ・ギウ)のセリフ「(妊娠していなかったことを安堵した理由)今の娘のいない人生は考えられないけれど、自分自身が生まれてきてよかったかどうか分からないし、生きている意味も分からないから、新たな命を喜ぶ気持ちが素直に湧かなかった」。
これって、純粋に迷わず宗教を称えているなら出ない言葉だと思う。特にキリスト教系なら。
どこか信頼しきっていなくて、習慣化しているから礼拝には行くけど、それだけの宗教としか受け止めていないんだろうなーと。


誰かの「生まれたから生きるだけ。生きることに意味はない」みたいなセリフには、深く同意。
たまたまよ。生まれて今生きているのは。
だから、自分が自由に楽に生きるためには、誰かの何かの犠牲になる必要はないし、誰かの何かを自分のために犠牲にさせないこと。

恋と愛を切り分けて、大切にされたい愛されたいなら、誰かを大切にして愛することを知ること。
自分だけ自己中な思想だと、解放なんて程遠いわ、って感じの内容かなーと理解。


ナゾだったのは、幻聴まで聞こえるアル中でも、あんなに体力があるもんなんだねえ。
最後、有り金持って逃げて、その後はどうしたんだろ。
うのち

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