この映画は『リスベット』の物語だ
スティーグ・ラーセンの原作「ミレニアムシリーズ」は、スウェーデンにおけるミステリ小説として押しも押されぬ存在である
しかし監督のデヴィッド・フィンチャー自体は原作をミステリとしては必要以上に評価しておらず、別の価値観の作品として仕立て直すことを目指したようだ
つまりミステリー作品から、『リスベット』を中心に据えた「抑圧と解放」を描くヒューマンドラマへと
フィンチャーにとって「ミレニアムシリーズ」は、あまりエレガントな作品には見えなかった
ミステリーとして「『燻製ニシンの虚偽(*)』が多すぎる」からだ
*燻製ニシンの虚偽(英:レッドヘリング)
小説などにおいて、修辞上の表現や偽の情報を用いて、物語の核心から読み手の注意を逸らす技法
確かに、原作の設定ではヴァンゲル一族の設定において「ナチの信奉者」を描くことで、印象としてナチスの影響を植え付けられるが、本作ではそのことはヘンリックによって比較的序盤にあっさりと語られるのみであった
そこでフィンチャーは、物語の中核を「性」にシフトチェンジした
つまり「性的な抑圧」とそこからの解放、そして自由な性愛における幸せと悲しみを描くことにシフトしたわけだ
この試みは、僕の好みにはフィットした
ルーニー・マーラ演じる『リスベット・サランデル』が鋭利で、同時にとても儚く魅力的に描かれたし、その彼女が心を開き、そしてまた正しく傷ついていく様がとても切なくもどかしかった
ミステリ作品としてのサスペンスや設定の複雑さは、物語を重厚なものにしてくれるが、この作品においてそれはあくまでもスパイスやソース
映画冒頭からしばらくはダニエル・クレイグ演じるミカエルを軸に人間ドラマが進行するのも、リスベットとの関わりを無理なく調和させるためだろう