第34回フジテレビヤングシナリオ大賞(2022)において1535作品の中から選ばれた大賞作品。
ヒロインを演じた豊嶋花の魅力にかなり助けられている。彼女でなかったら見ていられない。
ヤングケアラーという現代日本が抱える社会問題を扱ってるというだけで、凡百の数多ある何度も何度も使い古された書き割り的なペラペラな登場人物。
小説を読むか読まないかは書き出しで決める性分としては、何のこだわりを感じないオープニングに一瞬で見る気を失せる。
導入部も普通だし、人物描写も台詞もアニメから移植したような幼稚なキャラクター像に辟易する。実際の高校生はもっともっと鋭く感じているし、もっと大人であると思うのだが…
特に両親の面倒を一手に引き受けているヒロインであれば、精神的な成長は同学年の子たちより加速度的に進むはずである。
それが、たかだか演劇部の定期公演会で人が足りないからと照明を頼まれて、すんなり受け入れるのはどうなんだろう…
実際受けるかな?この照明を頼んだ子も、どんだけ友達いないねん。両親の面倒をみる大変さを理解しているのなら頼まなくないか?そもそも顧問は?顧問の先生がやれよ。
◯教室
豊嶋花演じる木村ひかると友人のミサ
ミサ
「家のこと大変だよね?」
ひかる
「家のことは…うん」
ミサ
「あとひとりだけなんとか見つけないと」
大変なの知ってたら、普通頼まないよね?友達なら尚更じゃないかな?頼むにしても、その状況を知ってるなら頼み方が違うのでは?
ミサ
「公演できなくなっちゃうよー」
ひなる
「じゃあやるよ」
ミサ
「うそ?やってくれるの?」
ひかる
「だって困ってるんでしょ?」
ミサ
「人生最大の困難!って感じ」
ひかる
「(笑いながら)大事件じゃん」
んー…ひかるが大変なのを知ってる友達が、ひかるの目の前で「人生最大の困難」って言ってしまうことの違和感。
「そんなの困難でも何でもねぇよ」
…と私ならそう言ってしまうが、笑って受け止めるひかる。心の中で葛藤してる様子も見られない。
ひかるナレーション
「照明くらいなら私にもできるかなぁって。ちょっとくらい青春みたいなことしてみたかったし…」
ナレーションで簡単に現在の心情を説明してしまうという幼稚な戦略。それで納得すると本当に思っているのか?
これに大賞はマズイだろ…
◯演劇部室
ひかると友人のミサが入ってくる
ミサ
「みんなー照明さん決まったよ」
部員A
「おっ⁈その子?」
ミサ
「うん。同じクラスのひかる」
ひかる
「やったことなくて、迷惑かけると思うけど頑張ります」
部員A
「大丈夫でしょ」
部員B
「うん簡単だから」
ひかる
「うん、見てわかる通りかなりゆるいから。緊張しなくていいよ」
う〜ん…。
たしかに言葉通り部員たちは、ゆるすぎる。故に、こんなゆるい部活の公演会なんぞに、わざわざ両親の面倒で大変な私を誘うのは失礼なんじゃね?こんな程度なら照明なんてそもそもいなくてもいいんじゃね?とシンプルにひかるは感じてくれよ。と見ている側は思ってしまうのだが…
ミサ
「じゃあひかる(台本を渡して)今日は見学ってことで」
えぇ?なんで今日呼んだの?
そもそも公演会まで何日なの?どこでやるの?見学なら帰るんだけど…と普通なら思わないか?
しかも台本の表紙にはハムレットの文字が…え?あんなゆるい部員たちでハムレットやるの?無理だろ?
そもそも稽古は本読みなのか立ち稽古なのか、どの段階にいるのかも分からないし…
◯道(夜)
ひかるとミサが歩いている。
ひかる
「演劇部って大会とかあるの?」
ミサ
「あるよ。コンクール。まぁウチは出てないんだけど。とりあえず青春みたいなことできたらさ、それでいいかなって。コンクールに出たってどうせ勝てないし、強いところだって引退したらそれで終わりでしょ?それこそ平家物語」
えぇぇぇぇぇええええ?
「人生最大の困難」は?人生最大の困難だと縋ってアンタはひかるにお願いしたんでしょ?それなのに「とりあえず青春みたいなことできたら、それでいい」ってどういう神経してるの?
人物がものの5分で入れ替わってないか?そんな適当な感じで、友人のひかるを誘ったの?そんな感じならマジで誰でもええやん。オカンでもオトンでも、暇そうな教頭とかつかまえたらええやん。
ひかるも間髪入れずに「人生最大の困難ちゃうんか!」と浜ちゃんばりツッコミ入れろよ。何をボーッと聞いてねん。
ひかる
「え?どういう意味?」
ミサ
「いくら栄えたって必ず終わりがあるってこと」
ひかる
「んーなるほど。まっ終わりがあるなら無理して頑張らなくてもいいか…」
んーもうこの2人のことが全く理解できん。これは単に私が思いっきり歳の離れたおじさんだから理解できないのか?
高校生だって人の機微は察知できる。
実際にヤングケアラーの友人がいたとして、本当にその友人を大切に思ってるなら、こんなやり取りになるわけないだろ?
いつも両親の面倒で大変だから、気分転換をさせてあげたくて、一緒に高校生活最後の青春を過ごしたくて、そういう意図があるなら、誘い方も違うし、舞台に対しての熱量もこんないい加減なはずはない!
すべてが軽い。よくあるテレビドラマの焼き増しでしかない。
◯回想
公園で自転車の練習をする幼いひかると、元気な両親。
幼子が初めて補助輪を外して自転車に乗り、転んでは起きて…最後にはうまく乗れるという…昭和の当時でさえも断トツに古臭く、見ているこちら側も視線を外したくなるほど赤っ恥なシーンを、この令和5年にもなって見させられるとは思わなかった。
因みにビデオで逐一気になるところを止めながら見ているので、一向に先に進まなくて困る。ここで見るのをやめたいほど気分はもう戦争。
いやーしかし…これに大賞ですか?大賞500万円だよ?令和5年に幼子が自転車に乗れるシーン書いちゃう人でいいんですか?
◯ひかるの家・キッチン
物憂げにお皿を洗うひかる。
ここで排水溝のドアップ!
いや…この演出だれだよ?!
排水溝のドアップなんて誰が見たいんだよ?!画としてもイケてないし、物語の効果としても何の価値もない。
撮影監督も誰だよ?
どっちがこの画を撮りたい!と言ったのか知らないが、どちらも酷い。さらにこの画を採用した編集マンも酷い。なんだこれ⁉︎新人のシナリオだからなのか?技術チームも新人か?
まだこのドラマ15分しか進んでない…もうやめたい。
◯演劇部
転校生がハムレットの名場面をひとりで演じている。
それを廊下から覗き見るひかる。
「とりあえず青春みたいなことできたら」というポンコツ集団がハムレットをチョイスするのも道理に合わないし、この演劇部がまったく揃わないというのも何なの?という…いったい現在が、公演まで何日前なのか示唆されないために彼女たちの置かれた状況が見ているこちら側に伝わらない。
もう立ち稽古してるのか?どこまでみんな台詞入ってるのか?え?まだキャスト決めてない?現在の状況を提示する義務が作者にはある。
カート・ヴォネガット
「出だしから4段落読んでもまだ登場人物たちが何という街にいるのか、何世紀にいるのかすらわからなくてイライラすることがよくあるんだ。
私にはイライラする権利もあるしね。
読者にはイライラする権利がある。
自分が遭遇しているのがどんな種類の人間で、どんな場所にいて、どんな仕事をしていて、金持ちなのか貧乏なのか、早く知る必要があるーこういうこと全てが、後に続くもっと驚くべき情報の基礎となるんだ」
これは小説に対しての言説であるが、映像でも全く当てはまると思う。
いま私はイライラする権利を行使している…。
◯教室
昨夜、目を覚ましたひかるの父。
ひかる
「それが目は覚めたんだけど、後遺症があって…手足の麻痺とか、言葉もうまく喋れなくて。リハビリとか結構大変そうで…だからさ…あの…部活のことなんだけど」
ミサ
「あっいいよ全然。気にしないで」
ひかる
「ごめんね」
ミサ
「全然大丈夫!ひかるは家のこと頑張って!」
だからさー最初からそうなんだって!ミサはアホなの?アホに設定してるの?最初から家のこと頑張ってるんだよ。ヒラリひらりと忍法変わり身に術でも使ってるんですかね?シーン、シーンで筋が通らない。
◯照明室
ズラリと並ぶスイッチ群。
これを迷いなく操作しているひかる。
いや…これプロの機材やん。
これは会場の人がやるんじゃない?知らんけど…この機材と同じものを高校生のいち演劇部が用意なんてできないんだからさ、練習なんて出来ないよね?いつ練習したの?あの機材で?ゲネプロあった?コンクール出てるってことは、他の高校チームもいるんだから、均等に照明卓を練習させる時間なんてないでしょ?
指示書だけ渡してプロに任せるのが通常なのでは?あの規模の会場なら…知らんけど。