平野レミゼラブル

岸辺露伴は動かないの平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

岸辺露伴は動かない(2020年製作のドラマ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

これは完璧な実写化だわ……
元々アニジョジョで完璧な構成を見せつけてくれた靖子にゃんの脚本だから心配してなかったんだけれど、想像以上に完璧な仕事を見せつけてくれたんで満足度が高すぎる。
まさか、原作の再現が完璧なばかりか、そのエッセンスの汲み取り方の巧さを活かして原作以上に面白い『岸辺露伴は動かない』に仕立ててくるとは思わなんだ……



-第1話『富豪村』-
まず、冒頭。初見の視聴者向けに挿入された「岸辺露伴という男がどのような人物か」「彼の持つ特殊能力ヘブンズ・ドアーはどういう能力なのか」を説明する為だけのオリジナルパートが入るんですが、これが本当に完璧。
ホラーっぽい演出、露伴の職業・能力の開示のテンポの良さ、空き巣の口調が物凄く荒木先生の描くチンピラそのものといったところも見事なんですが、それ以上に空き巣に入られたことよりも、空き巣が自分の作品を読むことを辞めたことの方を気にしてキレだす露伴ちゃんの描写が彼への理解度が高すぎてビビる。これ本当に荒木先生が描いた話じゃあないの!?ってなります。

もう、この「岸辺露伴ならそういうことは絶対やる…ッ!」って信頼感がこの後もずっっっと持続していくのでね。その時点でこのドラマに全幅の信頼をしてしまうのですよ。
なんせドラマじゃ露伴ちゃんが一番失うことを恐れているものが漫画を描くための利き腕に改変されてましたからね!!確かに漫画版では同行していた編集者が死にかけていたの意外に感じてたわ!露伴ちゃんはゼッテェー他人(康一くん除く)以上に自分の腕の方が大事だわ!!

こういう追加エピソードの挿入は本題である『富豪村』のマナーバトルの方でも発揮されているんですが、これが原作よりも内容がパワーアップしていて面白いんだから恐れ入る。
元々『富豪村』はジョジョ1部のアニメ版が放映される記念でジャンプに書き下ろされた話で、その1部1話目の内容と言うのが「ジョナサンがマナー違反を父親に咎められる」というもので、要はそれに合わせて作られたお話なんですよ。勿論、マナーに人々が畏れを抱くべき神々を絡めたり、勝負に敗北すると大切なものを失うという緊張感を付与した上で心理バトルに発展させた原作の時点で超面白いです。

しかし、ドラマ版はそこに昨今インターネット上でも話題になりがちな行きすぎたマナー講師ネタを巧く組み込んで現代時世に合わせてアップデートさせた。
「人を本にして過去を覗くのはマナー違反」なんてマナー講師が勝手に創り上げるマナーそのものですし、片腕を奪った上で「両手でトウモロコシを食べないのでマナー違反」に持っていこうとするクソハメ技の悪辣さなんかも、ただマナー違反を訴えて責めたいだけというマナーの本質無視にあたります。
それに対して露伴ちゃんがブリティッシュマナーに対する蘊蓄をベラベラ喋り、「最大のマナー違反は人前でマナー違反を指摘すること」とオリジナルの啖呵を切って〆るとこまで「わかってる」追加描写。
本来、こういう追加描写って入れても変に説教臭くなるってマイナス要素があって、実際露伴ちゃんのこれらの言説も説教そのものではあります。しかし、露伴ちゃんはこの説教をマナー講師たるガキへの意趣返しとしてわざとやっており(高橋一生の表情からそれはもうアリアリと伝わってくる)、これもまた「岸辺露伴ならそういうことは絶対やる…ッ!」の範疇に留まっているという塩梅なのが絶妙すぎる。
そのため、自然と原作より盛り盛りになっていて面白ェーッ!!って評価になるんですよね。

そしてエピローグで冒頭の追加エピソードの顛末「元読者の空き巣に現在の連載分までを差し入れる」を挿入して、漫画家たる露伴ちゃんのマナー(=敬意)が読者にあるという本質を示すと共に、彼のツンデレな部分も描いてオチとするのがこの上なくスマート。
ただでさえ面白い原作の再現に甘んじることなく「でもこうしたらもっとステキだと思わない?(のそっ」の精神でドラマを構成し、実際面白いんだから恐れ入る。

また、細部を見ても、
・ヘブンズ・ドアーで書籍化された空き巣の中に「トニオ」や「間田」といった文字が浮かぶファンサービス
・同じく書籍化された人物もファッション誌志望の泉はカラーでオシャレなフォントに、神の使いである子供の一究は古い少年向け小説のフォントになる演出
・随所に荒木先生が描きそうなイメージカットを挿入する
・看守の声が櫻井孝宏
等の工夫や遊び心があるのも心憎いです。

第2話は僕が手をつけてない小説版のエピソード『くしゃがら』。ドラマ版は原作への肉付けがあまりに巧すぎるってのを、この第1話の時点で「理解」したので大急ぎで小説を買って読んでから臨みたいと思います。



-第2話『くしゃがら』-
こちらはノベル版収録の作品で原作が北國ばらっど先生と、ドラマの中では唯一荒木先生が関与していない作品となっています。
小説の方には手をつけてなかったので、ドラマ当日に急遽購入して読みましたがこれが凄く面白い。荒木先生の手を離れているにも関わらず、セリフ回しも語彙のチョイスも口に出した時のリズムも完全に荒木飛呂彦の節そのものなんですよ。その上、ヘブンズ・ドアーによって原作になかった「袋綴じ」なんて新たなギミックが出てきたり、干渉を無効化したり、好奇心を媒体に害を成す岸辺露伴最大の天敵だったりと荒木先生の手を離れたからこその自由な発想による独自設定が光る。原作者のあずかり知らぬところで勝手に設定作っていいのか?とは思うものの、当の荒木先生自体がライブ感で設定を追加しては忘れたりを繰り返す御仁なので別にいいんじゃあないかな!
ただ、「くしゃがら」という言葉を巡っての会話劇がほとんどということもあり、これ映像化は難しいんじゃあと思っていたのですが……

これが全くの杞憂だった!!なんでだ、会話しているだけなのに滅茶苦茶面白ェ!!
本作のメインキャラとなる志士十五先生を演じる森山未來が凄く良いです。元々、荒木先生が描くチンピラっぽい風貌しているとは思ったけど、まさかここまで一挙手一投足が荒木世界に順応していくとは……表情、ジョジョ立ちを思わせるようなオーバーなリアクション、正気を失った時の暴れっぷり…全てのカットが漫画の一コマとして使えるレベル。
そして何より彼のセリフ回しの完璧っぷりよ。元々大河ドラマ『いだてん』で落語家志ん生を演じただけあってべしゃりの技術が超一流。そのため、流れるような荒木節に下手糞な例え(露伴ちゃん談)が聞いててスッゲェー心地好い。この辺り、彼の技量をわかり切っているNHKだからこそ出来たキャスティングだと思います。

本作のテーマである「くしゃがら」は禁止用語で、おそらく荒木先生も悩まされたことを承知でばらっど先生が意図的に揶揄したテーマ。多分「ド低能」を「クサレ脳ミソ」に直したエピソードを土台にしたんだと思います。しかし、いつ見てもクサレ脳ミソのがよっぽど禁止ワードのように思えるな……
そんな言葉をテーマにしたからこそ、ばらっど先生も志士十五という放っておくとマシンガントークを繰り広げるキャラクターを創作したのでしょうし、小説という媒体を使って「くしゃがら」が文字を侵食していく恐怖を上手く表わしていました。
対してドラマ版は「NHK」が製作する「映像作品」であることを使って最大限にアプローチ。禁止用語表が禁止用語しか載っていないから全てモザイクかかっている時点で面白かったんですが(ここら辺もアニメで煙草を吸う承太郎の口元が黒塗りになっていたことを念頭に置いた演出な気がする)、その後流れるように発せられる「ビチグソ野郎がァーッ!」でそれは禁止用語扱いじゃなくて良いのかよ!!と大爆笑。
さらに知っての通りNHKは国営放送なので商標名が禁止ワード。「ジャンプ」は「ジャンボ」に、「Google」は「Joogle」になっているという形で次々と禁止ワードを提示していくのがスッゲェー良い。
ばらっど先生のあまりの荒木節トレースっぷりに呼応されたかのように、靖子にゃんも「デマと真実が無表情で並んでいる」といったドラマオリジナルのキレキレの荒木節トレースを披露。やだ、このジョジョヲタクども再現度高すぎて怖い……

そして何よりオチね!小説では最後に「くしゃがら」という言葉が嘘であり、作中での「禁止用語」が広まらない配慮ということが明かされます。今もなお人を殺す「禁止用語」は知らず知らず眠っており、いつか「好奇心が猫を殺す」ことがあるかもしれない…と恐怖の余韻を残すのが非常に見事です。
それをドラマ版では最後に「NHKからのおことわり」として映したのがあまりに洒落すぎていて唸ります。例の「終 製作・著作 NHK」と共にそのお断りの旨が出るからね。この時点でNHKでしか出来ない「味」があります。


僕はTwitterで流れてきた画像ではじめて知ったんですが「言葉」をテーマにしただけあって今回は文字による小ネタが超豊富。
・新聞に見える「吉良吉影容疑者」の文字。えっこの動かない世界の吉良は普通に捕まったの!?
・「噴上探偵事務所」の広告。ハイウェイ・スターのスタンドの持ち主として適材適所すぎる。
・「謎の群体型生物」六部のスカイフィッシュ?でも「窃盗・爆発多発」とあるしハーヴェストかもしれない…でもスタンドは一般人に見えないんじゃ…おまけの小ネタだし深く考えるだけ無駄か。
新聞やネットに広告とちょっと入る文字ネタが多すぎる上にそのどれもが考察が捗りまくります。これは円盤をくしゃがら買うしかねェかもなァ…そしてくしゃがら面白い露伴ちゃんのドラマも次回で遂に最後。あまりにくしゃがらしいですが、くしゃがら傑作なのはくしゃがらなので、皆さんも要くしゃがらですよ!くしゃがらくしゃがらくしゃがらくしゃがらくしゃがら



-第3話『D・N・A』-
遂に今年最後の楽しみ、『岸辺露伴は動かない』も最終回。どうして『3話』だけなのよォオオオ~~~~~~~ッ!!
4話にしてくれ。話数だよ話数…3話のお話を4話にしてくれというのが願いだ。

で、まあその最終話に選ばれたのが原作で最もふんわりしているお話『D・N・A』。少女漫画誌『マーガレット』に掲載されたこともあって、後味サワヤカなハッピーエンドで素直に良い話なのですが、荒木先生流の突き放した謎設定、説明少なめな独自の運命論、そして『動かない』シリーズにおいては珍しい露伴ちゃんが本当に動かないまま終わるというお話なので、これをこのままドラマ化するのは厳しいものがあります。


そのため、設定がかなりふわふわしている部分があった原作からある程度納得いくような合理的改変が施されています。例を挙げるなら
・今回のゲスト片原真衣の娘真央の独特過ぎる特徴「おしりにしっぽ」「マツ毛は下側だけ」「もみあげがアゴまで」「足元が常に濡れている」は全てオミット。「オッドアイ」「なにか布の中に隠れていたい性質がある」「周囲に事故を巻き起こす?」といった現実的な範囲の特異さに変更。
・同時に真央の「しっぽを触られると体が保護色化する」を彼女自身のギフト(ドラマ版におけるスタンドの呼称)と取れるようにする。
・真衣の元夫で真央の父親の臓器が平井太郎(原作でいう尾花沢に相当)に移植された設定を追加。「臓器の記憶」という現実でもたまに聞くオカルトで、父親の生まれ変わり(人格の上書き?)を理解しやすいようにする。
といった感じでしょうか。

また、原作での真央の能力「しっぽを触られると体が保護色化する」に関して露伴ちゃんは「心の形がシッポの形となって外に現れている」とわかるよーな、わかんないよーなふわふわした解釈をしていましたが、本作では「母親の無意識の願いを娘が叶えている」と大分わかりやすい形に解釈。「布の中に隠れていたい性質」、「透明になる能力」は特異な娘を周囲から隠したいという母親の無意識が娘に伝わったが故なのですね。そうか…心の形がシッポの形ってそういう意味だったのか……わかってなかった。俺は雰囲気でジョジョを読んでいる。

さらにもう一つ大胆な解釈と改変としてヘブンズ・ドアーの設定変更があります。前話まではヘブンズ・ドアーを使用した際の本化は、顔が本のようにめくれて…という描写になっていましたが、『D・N・A』では一貫して人体がまるごと1冊の本になるという大分思い切った演出になっています。
CGの予算が尽きたか?といった邪推をしてしまいますが、『六壁坂』冒頭で露伴ちゃんが読んでたアートブックの如き抽象的な絵本となった娘の精神を読み解く謎解き部分や、泉ちゃんだけクッソ薄っぺらい雑誌になっているというような仕掛けが楽しい。そして何よりあの親子の心を表す本が全員飛び出す絵本となっているって仕掛けね。これで真衣—真央—平井太郎という3人の魂の繋がりが視覚的にわかりやすく、さらに露伴ちゃんが3人の飛びだす絵本の手の部分を繋げさせて、ラストの親子3人で手を繋いで仲良く帰るシーンとシンクロさせる演出のキレ味がとんでもなく感動的で美しい。

「ヘブンズ・ドアーの解釈をこんな自由にしちゃっていいのか?」って感じではありますが、僕は「す…凄ェ……荒木先生がその場のノリでやりそうなヘブンズ・ドアーの活用法だ……ゼッテェー次の回からなかったことになるヤツ!!」と妙な納得してしまったし、多分当の荒木先生も今頃「その手があったかッ!」って悔しがってると思いますよ。
それだけ原作が自由に解釈して良いって強度持ってますし、何よりスタンドは精神の形なんでね。出来ると思えば出来るし、なんだったら露伴ちゃんが凄く成長したんだと思いますよ。

終わってみれば『D・N・A』、「血統」による縁とか、「魂」で通じ合う人間の「運命」とか『ジョジョの奇妙な冒険』を統括するテーマで構成されたこれ以上なく最終回向けな題材だったのですね……
また個の作品としてのテーマとしても「普通とは何か?」という部分を持ち出し、「親が子の普通を勝手に決めつけてよいのか」、「特殊能力が精神から生まれるならその特殊能力はただの個性ではないのか」、「世間では個性を重視するが、個性的な子は普通ではないといじめられるのが現実というのはどうなのか」といったように問題提起しているのが良いです。
ドラマ版のお話の選び方と解釈って大体現代病理なんですよね。『富豪村』は「人に不快を押し付けるマナー講師」、『くしゃがら』は「言葉が無意識に拡散されるSNS」といった感じに。となると『D・N・A』における病理は「普通にこだわりすぎる人間」。『富豪村』、『くしゃがら』における病理の治し方は「無視する」、「どうしようもない」という身も蓋もない受け身的なものでしたが、『D・N・A』では「受け入れて一緒に前に進む」とかなり希望が持てる治し方なのが爽やか。本作がシンプルに良い話として綺麗にまとまっているのはそういう部分も大きいのかもしれません。


いや~~~本当にこの3日間異様に楽しい至福の一時でした……これはもう、贅沢は言わないから毎年末に露伴ちゃんと泉ちゃんのコンビでずっと続けてくれ!!って感じです。
そうそう、原作の『富豪村』で人の話を聞かない軽薄なムカつく女という印象でしかなかった泉京香はドラマ版で大出世でしたね。確かに軽薄でムカつく部分はあるものの、社会性が一切なく基本的に偏屈なクソ野郎の露伴ちゃんと取り合わせると抜群の漫才をしだす辺りのポテンシャルが高く、また恋人の平井太郎が真衣と結ばれても「いいんじゃないですか?もう私が好きだった写真とは違うんですから」と答える気持ちの良いバカっぷりに好感が持てる。そもそも、平井太郎と恋人関係というのが「本人が勝手にそう思っているだけ」という強烈な事実が最後の話で明かされたので、君も大分奇妙な人だよ……
京香「NTRやんけ~~~~!!」
露伴「寝てから言え」
荒木先生の泉京香評「ムカつきながら描いたが、キャラとしては傑作」が「心」で理解できたッ!!

いや~本当に『動かない』ドラマ化最高も最高だったんでね、あとはですね……実写ジョジョ四部第二章はまだかな~~~って……ほら、もう露伴ちゃんは高橋一生って決まったようなもんじゃない?だから、そろそろ発表してもいい頃なんじゃない?俺はまだ諦めてないからよォ………

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