つるつるの壺

聖地には蜘蛛が巣を張るのつるつるの壺のネタバレレビュー・内容・結末

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

極端な男尊女卑社会で起きた連続殺人事件を追う女性ジャーナリストのラヒミの視点と犯人のサイードの視点がクロスしながら物語が進んでいく。

街の浄化という名目で娼婦を殺害していくサイードは、名目だけみれば『タクシードライバー』のトラヴィスを想起するが、サイードには殺人の傍ら家庭人をやっているという二面性がある。よき父親とまではいかないが、家族を養い、労働者として社会にコミットしながら夜な夜な娼婦を殺して回る。この二面性にが何に基づいているかといえば、それは女性を過度に抑圧して粗雑に扱う社会規範と自身がイラン・イラク戦争で殉教出来なかったことによる負い目である。この二つが組み合わさることにより、サイードの中では娼婦を殺して回ることが聖戦のような位置づけになっている。

男尊女卑による殺人を民衆が支持し、女性たちもその規範を内面化することによって規範から外れたものを糾弾する側に回る。回らざるを得ないという方が正しいか。また、そういった規範が子供に再生産されていく過程を鮮明に描いている。サイードの息子アリは父の犯行が支持されているのを見て、自分の父は正しいことをしたのだと認識するようになり、仕舞には自分が父の遺志を継いで街の娼婦を殺していくと宣言する。ラストのビデオ映像で妹と戯れながら殺人の再現をするアリの残酷さと妹への気遣いを同時に映し出す。ここでも二面性だ。

ラヒミ視点では抑圧される女性の現状を体験しながら、公権力の腐敗と女性の無気力性を浮き彫りにする。男と離婚することも出来ず、男から独立して生活することも難しく娼婦として生計を立てざるを得ないのは、社会が女性の可能性を潰してきたからであって、これは程度の差はあれど日本も構造的には同じだ。

途中でガタイのいい娼婦を家に連れ込んで殺害しようとするが、今までにやったことのないタイプなので、どうやって殺そうか思案する展開があったが、あそこはスラップスティック味があって面白かった。包丁かハンマーかと悩み、いざ実行に移すが反撃されてしまって這う這うの体でなんとか殺害するも、死体を階段から運ぶときに重すぎて動かせず自分が階段から落ちて手首をぐねったりして情けない限りだが、ここは彼の男という特権性が肉体的に打ち砕かれる場面としてうまく機能していたように思う。