ノムラ

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夜明けのすべて(2024年製作の映画)
5.0
PMSとパニック障害を抱える2人が生きている話。恋愛映画ではないし悲しい事やびっくりするようなことは起きない。原作の小説を読んだ人はぜひこの映画を観てほしい。

好きな言葉のひとつに「物質のすべては光」という言葉がある。宇宙、星をはじめ、海も葉も建物や生き物、質量を持つすべては光で出来ている。私たち人間も流転する留まることのない光の集合体だ。
『夜明けのすべて』を観終わった後、頭にこの言葉が浮かんだ。ライティングが特徴的な映画で、私は表現技法や映画に疎いので詳しくは分からないが、ほとんどの光がおぼろげに表現されている。雨と電車と街灯と、職場・家に差し込む昼間の明るさや建物と人を染める肌色の夕日、そして、主人公2人以外の人々の生きている姿。
原作には描かれていない、名前もあいまいな人々が口にする他者の存在を意識した声かけ。私がこの映画を星5にした理由は沢山あるが、中でも群を抜いて、この《気遣いの声かけ》が映像化でしか表現できないだろう本当に素晴らしい演出だったからだ。

主人公の藤沢さんと山添くんは互いにPMSとパニック障害という、現代で認知が広がりつつある障害を抱えながら生きている。が、『夜明けのすべて』は障害への理解を深める映画ではない。
2つの障害に共通していることがある。自分ではコントロールが難しいこと、それによって他者を混乱に巻き込んでしまうこと。藤沢さんと山添くんは良い人でも悪い人でもない。だが、必要ない場面でもぺこぺこ頭を下げるような人達だ。だからこそ衝動が起きてしまうたびに、色んな人たちの優しさと戸惑いを浴び、罪悪感と嫌悪感に苛まれてしまう。そんな「自分」という嫌いな存在を操り日常をサバイブするための映画である。
序盤、藤沢さんは居眠りした会議を謝りもせず飛び出し、新入社員の山添くんは作業着を着ず、先輩から貰ったお菓子も受け取らない。心底疲れ切った体は時限爆弾じみた自分と他者の距離を遠ざけ、孤独な生き方へ導いていく。だが、光でできたこの世界において、孤独な人間の長い夜が明けることはない。
おぼろげで不安定なこの世界では、誰かから見た自分という、「他者」としての自分を認めることでやっと自分が存在できるからだ。ではどうすれば他人に迷惑をかけてしまう自分が他者から認識してもらえるのか。

他者を理解できないように、自分を理解するのは難しいことだ。作中でも2人の障害は治らないし、画期的な治療法も出てこない。
だが、『夜明けのすべて』では、意図的に他者の存在を意識した声かけが頻繁に行われる。それはコミュニケーションというにはあまりにも定型文じみていて、自己完結しているものも多い。
覚えているもので、重いものを持つ時の「よいしょ」だとか、植物に水をやる時の「おはよう」だとか、リハビリの職員がいう手袋を貰った藤沢さんへの「いいね」だとか、キャッチボールの「ナイス」だとか、貰ったお菓子がなんだったか言ったりなど。きっと各々が1人の時は言わない声かけで、他者がいる時にだけ発する独り言じみた言葉だ。だが、この《気遣いの声かけ》によって「他者」の存在はそこにあるものと定義され、「他者」から見た「他者」である自分も存在を確立させることができるのである。
人々は2人に特別配慮している訳ではない。だが、「あなた達はそこに居る」という気遣いを常に発している。これがものすごく心地いい。次第に《気遣いの声かけ》は藤沢さんと山添くんに循環していく。気遣いというものは、ほんの少しの勇気がいる。甘くないお菓子を聞いたり、職場の人へどら焼きを買ったり、彼らのささいな一歩が承認されるたびに共感し涙腺が緩むのは、日常で私たちが常に勇気を持って他者と接しているからなのだろう。他者への思いやりの行動によって自分の存在を確立することを思い出した2人は、朝の出勤時のあいさつ、洗車、お菓子配り、キャップの開け閉め、プラネタリウムの招待をスムーズにできるようになっていく。そしてインタビューとガイドでお互いの名前を挙げ、理解できない自分という存在を他者の解釈に委ねることで、藤沢さんと山添くんは互いを「迷惑な存在」でなく「この世界で生きていい存在」であるとして、自分を確立することに成功したのだ。

もう一つ、声かけとライティングの他に生活音が素晴らしいと感じた。物を置く音や人が動く音などの生活騒音をやけに大きくしている。最初はイライラする。うるさい騒音が主人公2人の深層心理を味わえる。だが生活騒音が止むたび、音が鳴るということは近くで誰かが存在しているという安心感に繋がっていく。自分だけでなく他者がいてこその世界なのだ。
私が感動したのは、携帯を届けに、借りていたエコバッグに入れて、貰った自転車を漕ぐ山添くんのシーンと、退職して誰もいなくなった隣のデスクを映しながら、山添くんから藤沢さんが1ヶ月後に髪を切りにきたとの語りが入るところだ。
画面がすごく明るかったのを覚えている。夜景の灯りが誰かの生活であるように、目の前に見えていなくても他者はいて、その他者がいるから自分がこの世界で存在できている。星の光が500年前の世界と自分を結びつけるように、他者という光がこの世界の自分を作る。

『夜明けのすべて』が圧倒的にやさしいのは「人は誰かの異常を察知すると寄り添わずにはいられない」と言い切っていることだ。ヨガをしている友達はパニックになる藤沢さんを宥めようと謝るし、職場の人は2人の衝動に対して「大丈夫」と声を掛け合う。山添くんの前の職場の人達も辞めた人間をずっと気にかけ続けている。現実はこんな良い人たちばかりでないファンタジーだと揶揄されるかもしれない。だが、冒頭の雨のシーンと電車のホームでうずくまるシーンで、2人は「したくもない」異常行動をしている変な人として映し出されている。そんな毎日つらく生きている人に追い討ちをかけるような展開は不必要で、本作はむしろ周りの誰かの優しい気遣いや寄り添う様子を逃さず徹底的に映していく。だから山添くんが言う「3回に1回くらいだったら助けられるかもしれない」がこんなにもドラマチックで感動的なんだ。
社長にお世話になった挨拶をする藤沢さんと、作業着を着て、社長のヘルメットに反応する山添くんに涙が止まらなかった。コンビニいるものあります?と声をかけていたのにも涙が出た。気遣いのサインを送り合うことで私たちは存在し続けられる。私たちは光でできている。

なんだか何を書いてるか分からなくなってきたが、本当に素晴らしい映画だった。誰の感想にも染まらず今の自分の気持ちを書きたいと思った映画で、きっと書いた後に色んなレビューや制作秘話を見て泣いてしまうだろう。All the long nightsというタイトルの英訳も、原作にないプラネタリウムのエピソードもささやかなbgmもすべてが愛おしい。ほとぼりが冷めて、やっぱり大絶賛するほどでもなかったなと思うかもしれないが、生の悲しみを抱えたまま30代に突入しようとする今の私にとても必要な映画だった。見返すことはないかもしれないけど、素晴らしいタイミングで鑑賞できたことをずっと胸にしまって大切にすると思う。
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