シズヲ

竜二のシズヲのネタバレレビュー・内容・結末

竜二(1983年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

実録ヤクザ映画の衰退を経た80年代に登場した“等身大のヤクザ映画”。ジャンルの時代を切り開いた自主制作映画。そして俳優・金子正次の出世作にして遺作。現状の生活が頭打ちとなり、それをきっかけに家族との関係を修復することを望み、しかし結局は何かが掛け違ってしまう。こうした粗筋は後年の洋画ながら『レスラー』をちょっと思い出す。暴力シーンを伴わないヤクザ映画と称される作品だけど、実録路線みたいな流血沙汰が皆無なだけで殴る蹴るくらいは出てくる。

主人公・竜二を取り巻くミニマムな世界観。所謂『仁義なき戦い』に端を発する実録路線のような激しい抗争や苛烈なバイオレンスは無く、前半は只管にヤクザの堅実かつ地味な日常が描かれていく。闇カジノやショバ代で生計を立て、時にはヘマをした弟分に焼きを入れ、足を洗った先輩に自らの進退への不安を零し……何処か生活感の滲み出る一ヤクザの姿がやけに味わい深い。そんな主人公の日常を強調するようにこじんまりと切り取ったカットの数々や、淡々としながらも何処か情緒を感じる演出もまた印象的。

金子正次は演技が力みがちでちょっと聞き取りづらい場面もあるけど、ドスを利かせた雰囲気と何処か気怠げな哀愁のコントラストはやはり良い。序盤では思ったより遠慮のないヤクザ性にビビる場面もあるものの、娘と接する際の“父親”としての無垢な姿やふいに覗かせる弱さなどもあって、不思議な憎めなさがある。あと竜二の弟分二人は何だか可愛げがあって微笑ましい。それだけに片割れである直の顛末に哀しみが染みる。

「もう金も欲しくなくなった」とぼやいてヤクザであることに虚しさを感じた竜二だけど、足を洗ったことで今度は“金が無いこと”への無力感を突き付けられる。シャブに溺れた親友を助けてやることは出来ず、かつての弟分の堕落にも何もしてやれない。彼は保釈金の件で妻子と別離した時から“金が無ければ何かを失う”と強く焼き付けられていたように見える。そうして竜二はその無力感に加えて、出世したもう一人の弟分との再会をきっかけに、堅気の日常への閉塞感を抱き始めてしまう。

ヤクザとしての人生への虚しさから足を洗ったはずなのに、結局“過去の自分”に追い付かれてしまう遣る瀬無さ。公園で長閑にゲートボールへと興じる老人達を眺める場面、竜二が気付いてしまった違和感が滲み出ている。あの「俺は何をやっているんだ?」感が忘れ難い。親子三人での生活を始めてそれなりに満たされていたように見えただけに、かつての縁にこそ自分の居場所があると気付いてしまうのが切ない。

竜二が感じ始めた“ヤクザ”と“堅気”の齟齬はもうちょっと掘り下げてほしかった気もするけど、それでも妻子との離別を決意するラストの対峙には何とも言えぬ悲哀に満ちている。娘や妻と接する竜二の姿には紛れもない幸福感があったけれど、それでも現役時代への帰属意識からは抜け出せない。そして竜二はアウトサイダーへと回帰していき、夜の街へと溶け落ちていく。結局、竜二の求める幸福は何処にあったのだろうか。ラストに流れるショーケンの歌も相俟って、切ない余韻を噛み締めてしまう。
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