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怪盗グルーの月泥棒 3Dのaのネタバレレビュー・内容・結末

怪盗グルーの月泥棒 3D(2010年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・本作は、イルミネーション・エンターテイメント初の長編映画であるのだが、同社がミニオンシリーズ以外に何を制作しているか調べたところ『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(2023)と『SING シング』(2016)シリーズを手がけており、マリオだけでも制作費の1億ドルに対して13億ドル(世界歴代興行収入15位、アニメではアナ雪に次いで2位)と、とんでもないメガヒットを生み出した、気鋭のスタジオである。


・ミニオンシリーズも世界的に大人気で、『ミニオンズ』(2015)は11.5億ドル、『怪盗グルーのミニオン大脱走』(2017)は10.3億ドルと、こちらもメガヒットを連発しているような状況だ。実はイルミネーションのクレジットは、ハリーポッターやディズニーに匹敵しうるようなアイコンになりつつある(今年のマリオを経て、その地位が完全に確立した印象がある)。本作だけ見ても、端的にめちゃくちゃ面白いので、妥当な評価なように思う。


・監督のピエール・コフィンとクリス・ルノーは、本作全体でミニオンたちが話す言葉を「Minionese」と呼び、実際に書き起こして監修していたらしい(つまり、でたらめな言葉ではなく、実際の単語にきちんと翻訳できるもの)!すごい。


・当初、ミニオンの造形については人間に近い身長にして、いわば子分のような存在にするはずだったのだが、結局イルミネーショ・エンターテイメント・スタジオにはその予算がなく、最終的に低身長のマスコットキャラに変更したそう。個人的にはそれによってキャラクターの商品化に大成功しているし、実際に可愛いので、それこそが正解の択なように思う。


・ちなみに、ミニオンの正体は遺伝子操作されてとうもろこしの粒。可愛い。


・主人公の名前である「グルー」の由来は、ロシアの軍事情報局(つまりスパイ組織)であるGLUGLUから来ていて、そこは現在ではKGVの6倍の規模を誇る、ロシア国内で最大規模のスパイ組織で、彼の出自が暗喩的に示唆されているらしい(怖いので一部検索避けをしています)。


・グルーがBank of Evilに入っていくシーンでは、そのドア越しに「元リーマン・ブラザーズ」というサブテキストが配置されているらしいのだが、このリーマン・ブラザーズという会社は元々世界最大の投資銀行会社で、00年代の不祥事や失策の結果08年に自己破産、数十億ドルの世界的な損失をもたらしたことがきっかけで、「リーマン・ショック」という世界規模の恐慌が発生し、多くの失業者を産んでしまったので、この記述はそれに対する恨みからきているのだと思う。


・グルーの養子縁組ファイルが映し出されるシーンでは、彼の生年月日が「1960年9月28日」と記載されている。これは、アポロ11号が人類史上で初めて月面探査着陸を達成してからちょうど8年が経った日であり、彼が月に対しテレビ越しに憧れを持っていたシーンとマッチしてるそう。ちなみに、手下のミニオンたちがコンピュータに入力した虚偽の出自ファイルでは、彼は1952年にノーベル賞を受賞したことになっている。


・娘たちの寝室を映すシーンでは、カメラのアングルで壁にかかっている絵画としてレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」、フィンセント・ファン・ゴッホの「星月夜」が掛かっていて、彼がかなりの大悪党であることがわかる。個人的には、ここまで窃盗が許容され、個人の不法的な力量を競い合うような社会は、ディストピア描写の中でも上位に食い込むものだと思うので、本シリーズの怪盗が跋扈することに無抵抗な世界観というのはかなり恐ろしいものがある。


・ちなみに最近のアメリカでは、犯罪者の数や「盗まれる物」自体の増加、そして刑務所に空きが少ない等の理由から、カリフォルニア州では950ドル未満の万引きや窃盗を、一律して重罪に問わない法案(犯罪ではあるが不可罰の状態となるため、いわゆる「無罪」となる)が施行されている。これにより、同州では(当然に)万引きや集団単位での窃盗が、スラムを中心に大流行し、またそれを警察が撃退してくれない以上は結局個人同士が武装するしか方法がないので、店のオーナーはバットを常備せざるを得ないという、(まるで西部開拓時代のような)個人主義の極北的状況に陥っている。特にサンフランシスコではこれにより街の商店が続々と閉店し、同街では急速にスラム化が進み、今ではサンフランシスコは90年代のデトロイトのように退廃した姿となってしまった。本作のように、個人の窃盗行為の応酬がインフレーションする世界は、(少なくともアメリカにとっては)十分現実的なものとして受け取れるだろう。


(・ここから先は感想です!)


・まず、端的にめちゃくちゃ面白かった。主人公であるグルーの家やそのメカの造形だけを取って見ても、90年代風のオラオラ感とクライムな人間の趣味嗜好がそのまま反映されたような印象が非常に強く、そこにティム・バートン流の表現主義的な凹凸が非常に上手く落とし込まれていて、最初の数カットだけでも脱帽。特にグルーの謎造形のメタリックな車は、格好良さと実理性の無さ、デカさというのが極端に強調されていて、本当に良かった。


・登場人物の腕や鼻から、世界全体に至るまで極端な表象性を持ったものというそれ自体が、本シリーズを通じて映画界にとって完全に一般化されたように思うし、その意味でも本作は歴史的な一作ということが十分にできると感じる(「ティム・バートンのように表現主義的な」という枕詞がつかずとも、アニメとは本質的にこういう表象を持つものだというのが、観客の間で生まれるきっかけとなった作品だと思う)。


・グルーが世界征服のために月に手を出すという設定は、シンプルながら世界征服と権威に関する欲望を端的にそのものとして描き切っているし、終盤では「月を手から放して、代わりに子供を手にする」という描写が、縮小レーザーにより文字通り達成されただけでも、この映画は主題をそのまま実現していて、こういうわかりやすい映画は満点。最後、ポスターで見た通りにグルーたちが月を背景に駆けていくシーンも最高。


・本当に、全ての映画には明確な主題があってほしいし、その主題はとりあえず絶対に達成してほしいです。それができた映画には(権力・戦争礼讃のメッセージでない限りは)とりあえず満点をあげることにしています。


・子供の3人衆の造形が、このデフォルメを重ねた世界の中ではかなりリアルクローズ寄りなタッチで描かれていて、そこには良い意味でキャラ化を避けている監督の思惑があるように思う。それにより、観客側にとって没入感や親近感等の「あるある」要素が子供側に芽生えるのも、バランスとして本当に素晴らしい。その分、科学者の頭がアフロヘッドで、銀行の頭首のネクタイが図太かったり、ミニオンズは常に賑やかしでいてくれたり等、他キャラが徹底的にデフォルメされているというこの配置の感覚は、シンプルに監督の才能による部分が大きいと感じる。


・最初のグルーの振る舞いとそれを映す物語の構造自体が、「ひどいことをするビリーを面白く映す」ということに終始していて、このブラックジョーク的な笑いのセンスには「おやおや?この作風ではマズい気がする」と冒頭思うのだが、中盤以降にかけてはそのような独我的な振る舞いというのがなくなり、逆に最終的にはハートウォーミングな笑いに終始して切り替えていくことも含め、監督はそのような表現の持つ効果というものもしっかり俯瞰していて、これが物語に合わせてグラデーションしていくよう細かく規定しているのにもものすごくセンスを感じた。


・ミニオンズの量が、1作目から想像の10倍くらいいるのも良い。映画の媒体において賑やかしというのは絶対に必要で、それをミニオン達がそのまま請け負ってくれるのは本当にありがたいし、これは人気が出ないはずがない。


・総評。終始めちゃくちゃ面白く見ることができたのですが、その背景にはクレバーな表現の配置と、「俺は画面を沢山汚していくんだ!」という監督の姿勢がある気がして、見ていて嬉しい映画でした。出し惜しみせず、面白いものを単位時間ごとにバンバン見せてくれる映画が結局強いし、それができていればメッセージ性というのは自然と生まれてくる気もします(権威というのが、概して儀式的な所作の連続とそれに対する無条件的・包括的な同意から発生することからしても、表現にはそれ自体として、権威を乗り越える力があることは明らかなのです)。先日『アクアマン2』を観て、ジェームズ・ワン監督の社内の意向に平伏してしまった感に辟易していたので、余計に嬉しかったです。興行収入からして次作以降も面白いことが確定しているので、ここからはイルミネーション作品もドンドン観ていきたい!
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