月うさぎ

解夏の月うさぎのレビュー・感想・評価

解夏(2003年製作の映画)
3.0
この映画のラストが残念でした。私のイメージでは白い百日紅の花が満開に画面いっぱいに広がっているはずでした。
ここまで丁寧に描いたなら、なぜラスト、もっとも大切な言葉をカットする?
これでは、障害者となった哀しみとそれを献身的に支える恋人の自己犠牲的純愛しか伝わらないのでは?この映画の恋人たちを見て、勇気をもらい幸せ感に浸れる人はいましたでしょうか?

「解夏」というタイトルが示すように、原作小説のテーマは「解放」なのです。

【ストーリー】
視力を失う病に侵され、職を辞し故郷の長崎に帰った隆之の元に恋人の陽子がやってくる。
苦しむ隆之と共に過ごし、笑顔で支えようとする陽子。
そんなある日、二人はお寺で出会った老人から仏教の「解夏」の話を聞く…。

タイトルの「解夏」ですが、なかなか日常では聞きなれない言葉ですよね。一体どういう意味の言葉か、皆さんはご存知でしょうか。私はこの小説を読んで初めて知りました。

「解夏」というのは、実は仏教用語の1つ。
仏教僧がおこなう修行に安居(あんご)というものがあります。これは、陰暦4月16日から7月15日にかけて籠る修行のこと。夏におこなわれることから夏安居(げあんご)ともいわれます。
安居が始まる時を「結夏」(けつげ)といい、それが終わる時のことを「解夏」というのだそうです。

このことを、たまたま訪れた寺で出会った林茂太郎から教わった隆之と陽子。その時の隆之は、いずれ訪れるであろう失明の恐怖と闘っていました。彼はそれを知り、仏教僧がおこなう夏3ヶ月間の修行と、隆之の目が見えなくなる時までの期間を重ね合わせ、話をするのでした。

失明する時は、いずれ自分の目が見えなくなるという恐怖から解放される時。つまり、隆之にとっての解夏だと林は言い、彼を元気づけるのでした。


人づてに聞いた話ではありますが、中途失明者がまさにこの同じ事を語っておられました。
自分が全盲にやがてなる。という事がたまらない恐怖であり、いざその時が来た時には、ああ、これね。と、受け入れられていたと。

小説にはまた、失明後の世界は暗闇ではない
とも書かれていました。
闇も光があるから「見える」ものなのです。


文字では伝えきれない景色や音を表現してくれるのが映画の良さ。
長崎の風景が印象的です。
脇を固める役者さんも良かったと思います。

さだまさしの同名の美しい短篇小説を丁寧に映像化した作品ですが、主人公たちが語る心に残る言葉のひとつひとつは原作のセリフと全く一緒のものが多いのです。
それは原作がまるで脚本のように書かれているからなのです。
特に話し言葉の自然な事といったら!

しかし、もしもこの映画を観ていて、ちょっと奇妙な台詞や行動があったと感じたなら、
それは原作にない「つけたしエピソード」かもしれません。

なぜかモンゴルが出てきたり、完全に視力を失っていないのに土砂降りの雨の中で転んで立てなかったり、突然東京に戻ってしまったり…全部無いですから!
こんなことなら脚本家は仕事をしないほうがいいくらいです。

この映画が気になった方はどうぞ原作を読んでみてください。
思いのほか短い小説です。
シンプルで、そして思いのほか深い小説です。


本来はこの作品はお涙頂戴の難病ものではありません。
例え辛い重荷を背負っても、人生は受け止め方ひとつで開いていける。
そういうメッセージの強い作品なはずです。

哀しいけれどきっぱりとした心を感じ、希望を持てる小説です。

だからこそ白いサルスベリはもっと美しく映像化して欲しかったです。
ここはキモでしょう。
最後に見えたのが何か?が問題ではないです。

「心の目」で見る最初の鮮やかな光景なのですから!
月うさぎ

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