月うさぎ

BLUE GIANTの月うさぎのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
3.8
映画「BLUE GIANT」の最大の魅力は、なんといっても演奏シーン。
JAZZをテーマにした映画はある。しかしアニメでは初めてのチャレンジではないだろうか?音楽に、脚本に、気合いを感じる。新しいタイプの映画だと思う。漫画を原作とした映画としても作品へのリスペクトのある素晴らしいできだと感じた。

評判の良さに、つい情報を読み漁ってしまった。

世界的ジャズピアニストの上原ひろみさんが音楽を担当。沢辺 雪祈(ゆきのり)のピアノも演奏している。宮本大のテナーサックスは馬場智章さん、玉田俊二のドラムは石若駿さん。
音楽が素晴らしいと評判が高いのは、彼ら演奏者のスキルと努力の賜。サウンド・トラックも大ヒットだという。
映画の中でも何度も言われているようにJAZZは日本でも「瀕死」の音楽なのにも関わらず。

事実、演奏が素晴らしくて感動した!という多くの人が、JAZZは聴いた事が無くて、とか、JAZZの曲は知らなくて、とかおっしゃっている。
ホントか?って思ってしまった。
JAZZを聴き慣れていなくて、この映画で泣くほど感動できるのか?すげー人達だなって。

実は私は多くの方が言う「音楽の映像表現が素晴らしい」とは、それ程思いませんでした。
「あしたのジョー」みたいって感じた😅
迫力盛り盛りでMTVみたい。血走った目とか圧倒されて驚愕している観客の顔とかのどアップ、ウザいです。色彩のインパクト、フラッシュカットだか、ジャンプカットだか、目まぐるしい「上がる」表現が、みなさんのお気に入りなのかな?とても手間をかけている感じです。おかげで生感ゼロですが。

例えば管楽器はともかく、キーボード奏者やドラマーはステージ上であんなにしかめ面しく苦しそうに演奏したりしていない。大のサックスの奏法も、見せるステージング効果のため以外ではあんなに派手に動かない。人並み外れた天才って事なので人と違っていてもいいのかもしれないけれど。
…なんていうか、全体にスポ根漫画みたいなのね。
「セッション」という実写映画ではJAZZ の鬼教官のdrummerに対するスパルタ、パワハラなしごきがスポ根そのものとして描かれていたけれど、本作でのJAZZ音楽のとらえ方は真逆なはずで、大は本格的な音楽指導は受けていなくてほぼ独学だし、JAZZは感情表現だとか自由だとか下手でどこが悪いとか言っちゃってる。音楽を聴く耳や感性は抜群だが、他の楽器に対する理解や意識はないまま。ドラムの重要性を軽視しているとさえ思えた。
楽譜やリズムキープや音程やテクニックにめちゃうるさかった「セッション」での音楽学校の教師と生徒とは別の音楽ですか?というくらいスタンスが違う。
どちらが正しいとは言いません。
でもJAZZって宮本大みたいなのが本物なのね、と思ったら、ちょっと違う気がします。

音楽シロウトに飽きさせない為っていうのは了解していますが、それでも、です。

Talking Headsの「Stop Making Sense」のような音楽そのものへのストレートな感動はこの映画にはない。

決定的なのは、主人公に魅力が欠ける点。
宮本大の天才さがわかりにくい上に、キャラクター設定があまりにシンプルで、共感性に乏しい。
ドラマとしては雪祈の方が繊細で複雑なキャラクターで、主人公にふさわしい。
上原さんも原作を読んでいて「大は優しくないなと思って見ていました(笑)」と語っていた。
大は「落ちたら自分1人で登ってこい、自分で上がってこられない人は必要ない、って思っていると思う」と。
私も全くそう感じた。 

こういう主人公をカッコいいとは、女性は決して思わないのだ。

JAZZはROCK BANDとは違う。一生同じ仲間と演奏し続けることはないし、実力を認める演奏者と組んだならそれを「踏み台」にする、それがJAZZミュージシャンの世界だと雪祈は言い切る。
そんな彼が大と玉田と過ごした日々の中で変わり、彼らと出会えた事を心から喜び、自分が先に出演オファーを受けた時には仲間に先に報告して謝ってすらいた。それでも大が自分を踏み越えて行く時には迷わず祝福する。

こっちなんですよ。ドラマがあるのは!
むしろ彼の大無き後の復活をみたいんですよ。

とはいえ、本作の大きなテーマは普遍である。
一生か青春期の一瞬か、そこは人それぞれだけれど、何かに夢中になる、本気でのめり込み努力を苦行に感じない、人生においてそれ以上に幸せな瞬間はないのだという事だ。
そして人との出会いによって成長し、壁を破り挫折を乗り越えて生きて行く事。
それが上手に伝わる映画だったと思う。


この映画の感動を語る人の多くがいう
ジャズは爆音で聴くのが一番だ。

…とは、私は思っていないのだ。
ROCK BANDのスタジアムLIVEのような、スピーカーを山のように積み上げた音とJAZZの音は違う
演奏者が豆粒のようではなく、姿が目に見えて、生の楽器の響きが、スピーカーの方向からではなくて、その楽器の方向から聴こえてこなければならないと思っているのだ。
JAZZの感動はつまり生感である。
レコードであっても、だ。

今流行のデジタル配信のサンプリング音源とリズムマシーンの非人間的なお手軽ノーテク音楽と、やはり対局にあるものなのだと思う。

この映画では大の呼吸音が強調されていた。
大の強く個性的な音を出すための肺活量、長い息、それがいかに苦しいものなのか、という表現だと思うのだが、それよりも、演奏者の呼吸を感じ取れるほどの「距離的近さ」が、JAZZのLIVEの熱さなのだと、改めてそう思ったのだった。

さあ皆さん、今度はライブハウスに行きましょう♪
月うさぎ

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