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蜘蛛巣城のotomisanのレビュー・感想・評価

蜘蛛巣城(1957年製作の映画)
4.1
 気が付けば犬居勢はおろかアメリカの軍門にまで降って、いま霧を割って現れるのは蜘蛛巣城址。その戦後も終わったと告げられて、むかし「アジアの盟主」とされた予言の正しさもいっときの事、すべて悪い夢だったと思い返したに違いない。

 あの物の怪にも逆賊を討伐した一刻後の事なら容易に分かるだろう、たかが砦の長から館の主への昇進がいかにも重たい予言であるかのような物々しい通告である。そこにさらに城の主への栄進を言い添え、そののちに盟友の息子にその城を譲る?という謎を被せて、これぞまさに人を煙に撒くという。
 それが人にはこころの内を見透かされたようでもあり、ならば自分は今のあるじを討って蜘蛛巣城主に成り代わるのか?そののち自分を討つのはいま隣する盟友の倅であるのか?この時世、隙あらばいつ誰がそれをするか、それが自分ではないなどとどうして偽り切れようか。
 みんなも分かっているから最強の将、鷲津に付いてくる。かつての盟友、三木を闇討ちにしたってまだまだ付いてくる。しかし、死者に脅かされ物の怪の「予言」に振り回される姿を晒してはもういけない。狂った主に付いていくさに勝てようか?
 手足となって来た支城の将からの報告も間遠になり、こころの中から湧いてくる悪夢に包まれて目と耳が現実を捉えられなくなり物の怪の玩具として死んでゆく。

 あのときの物の怪たちの賭けは、鷲津は、犬居勢に討たれる。手勢から討たれる。それともこの呪縛を破って真の覇者となる。いづれに張った事だろう。なににせよ第三の道を進めば、まだまだ遊び甲斐のある面白い奴で通っただろうに。

 それはそうと、初めの予言の鷲津と三木への処遇、あれが二つの城の主となるとの言が逆に叶ってしまったなら、そののちどんな展開になっただろう?
 あの戯けた物の怪めが言い間違いおったわ、と一笑に付されたろうか?そしてそれぞれの事情に基づいてあるじを討ち、互いを討ち、あるいは天下を取るべく全てを打ち倒すに至るだろうか。いづれにせよ物の怪の愉しみはどこかの誰かによっていくらでも演じられるのだろう。これは物の怪役が一番得という事だ。
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