デニロ

サンダカン八番娼館 望郷のデニロのレビュー・感想・評価

サンダカン八番娼館 望郷(1974年製作の映画)
4.0
1974年製作公開。原作山崎朋子。脚本広沢栄 、熊井啓。監督熊井啓。

『忍ぶ川』の栗原小巻の美しさにのみ惹かれた高校生は、小さな願いを胸に映画館に足を運んだのです。監督の熊井啓が、『帝銀事件 死刑囚』『日本列島』『地の群れ』で、敗戦後の日本で行われていたというアメリカCIAの暗躍や、部落、朝鮮差別という日本人の原罪を暴いているのだということを映画雑誌に書かれた文字で読み知ってはいましたが、作品自体を観ることはできません。接することができたのはその数年後。ですから、からゆきさんを題材にした本作もそんな苛烈なものであろうと想像はしていたのですが。

1972年。わたしが初めて映画館で観た寅さん映画は『男はつらいよ 寅次郎夢枕』だった。名前だけは知っていた田中絹代がスクリーンに戻ってきたと、そんな記事が踊っていた。旅先で病に倒れた男、その死を看取った旧家の奥様。死んだ男の消息を訪ねて来た渥美清と語らいます。夕暮、旅先で死んだテキ屋仲間の墓参り。田中絹代の背中の佇まいに渥美清も静かに応じていました。そんな田中絹代をみて熊井啓監督は出演の申し出をしたんでしょうか。

50年ぶりに本作を観て田中絹代の演技に釘付けになる。

/誰にでも事情はある。お前にも言えないわけがあるんだろう、お前が何も言わないものをどうして聞くことができようか。/素性の知れぬ栗原小巻を家に迎え入れるにあたって、何故、自分が何者であるのかを何も聞かなかったのか、という問いに対する答えだ。彼女の言葉は、暢気な高校生にもおそらく通じたのではあるまいか。彼女の孤独、絶望、善意、歓喜を田中絹代は表情豊かに演じ分ける。そして自らの半生を語り始める。栗原小巻の目的をそろそろ気付き始めたのだろう。明治時代の終わりから。子どもの頃の話、父親との死に別れ、母親の再婚先で兄と共に奴隷的拘束。女衒に300円で買われてボルネオ行き。栗原小巻は、かつて東南アジアに出稼ぎに行っていた日本女性の記録を残そうとフィールドワークを続けている近代日本女性史研究者。

語り終えたら彼女は帰ってしまうことが分かっているのか、少しづつゆっくりと。余所者栗原小巻の逗留に疑念を抱く近所の衆には、自分の息子の嫁だとまで言い繕う。一度も訪ねてこない嫁。おそらく息子が母親の素性を知らせたくないのだろう。このあばら家に連れてくれば分かってしまう。息子からの仕送り千円札三枚を大事に押しいただく。

印象的だったのは、サンダカン八番娼館の女将水の江滝子。昭和に入り大日本帝国の国力が増すと日本人娼館の人身売買が国際的に問題となり、なんと国から国辱的施設であると指弾される。/わしは日本に帰りとうなか。おまえ達も日本に帰ってもろくなこどなかぞ。/死の床で彼女は言う。/この指輪がわしの汗と涙のしるしばい。/彼女は金の代わりに客から身に付けている装飾品を得ていた。それを配下の娼婦に分け与え、更に、彼女はこの地で亡くなった娼婦たちの墓地を造っていて、自分が死んだらその墓地に葬ってくれと言い残す。

田中絹代/サキ/高橋洋子の話は続く。

サキは故郷の兄の下に帰る。兄に送った金で兄は家を建てている。それなりの生活をしているはずだ。が、兄の態度は素気無い。外国に出稼ぎに行っていた意味を世間は知っている。外聞が悪いのだ。兄嫁も、この家取られちゃうんじゃないかと心配して兄に言い募る。兄は、登記は自分になっている。サキのいいようにはならない。絶望の果て、再び娼婦となり満州に渡る。

同居生活から一月後、栗原小巻は自分の仕事を明かし、東京に帰ってサキの話をまとめたいという。/本当のことを書くなら誰にも遠慮することなか。/

栗原小巻は、マレーシアに渡る。農業試験所技師に案内されてからゆきさんの痕跡を辿る。いつかサキから聞いた娼婦たちの墓地を探す。今でも残っているだろうか。協力者と草木を切り分けて丘に登る。この辺りのはずなんだけど。丘の最上部の方に朽ちた卒塔婆を見つける。年月の移ろいを知る。更に切り分けた者たちから声が掛かる。いくつかの墓石が見つかる。キクのものだ。それらの墓は日本に背を向けている。

権力が、漂白してしまいたい、隠しておきたい歴史、原罪を明らかにしていく静かな情熱に敬意を表します。

国立映画アーカイブ 逝ける映画人を偲んで 2021-2022(撮影/金宇満司) にて
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