Torichock

DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見るのTorichockのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

「Documentary of AKB48 -Show must go on-」

宇多丸師匠のシネマハスラーでのランキングが高かったので、観てみました。
今回、AKBの商法がどーだとか、クソだ!とか、そういうAKBに対する
短絡的で安易に抱きがちな偏見やノイズを一切抜きにして、
一つのドキュメンタリーとしてしっかりと観ました。

まず、宇多丸師匠が語っていた、アイドルの存在。

魅力=実力ではない存在。魅力に実力が全く伴っていない存在。
その足りない部分を、ファンの応援が+αされ、アイドルが完成する。

という、ことを念頭に観ました。

この映画に映る彼女たちが取り組む数々のイベントやライブ、
はっきりと見て取れるのは、まるで"学園祭"
それを人は、"学園祭レベルで金を稼ぎやがって"と思うでしょう。
はい、ボクもそう思ってました。
でも、理解しました。いや、ボクはこう思いました。
ファンがあってやっと、実力の伴わない彼女たちの魅力が出るとしたら、
それが学園祭レベルであろうと、彼女たちの存在意義は
そこにあるんだと気付かされました、この映画を観て。
ボクの知りうるアーティストは、ステージでは完璧であり、
アーティスト然としているものだと思います。
でも、このドキュメンタリーの中で、彼女たちは、
過呼吸になったり、段取りがめっちゃくちゃ悪かったり、ボロボロなんです。
でも、それでも、ボロボロでも、それをファンが応援して完成する物なんですね。
ようするに、ある意味ではファンのために精一杯やってるわけです。
そうなると、恋愛禁止という制度が気持ち悪いという意見も、ここに行き着きますよね。普通に恋愛したとて、それを糧に出来るような場所にもいないし、実力もない。アーティストじゃないんだから。
ファンがいないとアイデンティティが成り立たない彼女たちにとっては、命取りとなるのか!と。

総選挙について、前田敦子が"誰も進んではやりたくないもの"と語っています。
彼女たちは、体育祭で走らされている徒競走なんです。
誰も順位なんて付けてほしくないけれど、走るのをやめることは出来ないから、
走るしかないんです。
そして、その票という物は、ファンがあって成り立つアイドルにとって、
自分のアイデンティティにかかわるものです。
それが組織票だろうが、まやかしだろうが関係ない。
望まずに始まった、てめえの価値決めるヨーイ、ドンっ!なのですから。

ボロボロで、もろい存在。アーティストには程遠い存在。
例えどんなにどうでもいいと疎まれても、それでもファンがいるから意味がある。

そして、最後に。
AKB商法ややり方に付いては、多くのアーティストや音楽ファンが
批難するのに最も攻撃やすいところです。
ボクも、ずるいと思ってました。
でも、僕らが好きな音楽やロックや洋楽やらを聞いて、子供が喜ぶとは思えない。
それはそれで、"売れ線"とか叩くじゃないですか。
ボクは、好きになれないけど、あれを喜ぶ人が実際いるんだから、
アーティストならまだしも、一般人がとやかく言うことではないかなと思いました。

まぁ、ドキュメンタリーとしては、入り口にぴったりでした。
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