グラマーエンジェル危機一髪

素肌のビーナスのグラマーエンジェル危機一髪のレビュー・感想・評価

素肌のビーナス(1961年製作の映画)
3.5
1950年代後半、エドガー・G・ウルマーは“The Naked”(“裸の”)とつく題名の作品を2本監督しており、1955年製作の“The Naked Dawn”(「裸の夜明け」)は愚にもつかない凡打である一方、1959年製作の“The Naked Venus”(「素肌のビーナス」)は捨て置けない奇妙な魅力に溢れた1作であり、ヌーディストである女性が裸の写真を盗撮され、これを理由に夫の母親から離婚を強要されるも裁判を起こすというあらすじからまた興味深いが、作風は粛然として真面目で、公共におけるヌードの意味というものが裁判劇という形で議論される予想外の社会派な展開を見せながら、ヌーディストが主人公である故に当然ヌードは大盤振る舞いで、離婚を迫られた主人公が傷心を抱え向かった先がヌーディストビーチで、誰も彼も朗らかなまでに全裸で、主人公も汚れを洗い流すように全裸になる下りはシリアスな笑いを引き起こすが、そもそもの話として今作は1959年に製作されたアメリカ映画であり、しかし悪名高いヘイズコードからは一切解き放たれたかの如くヌードが現れるのは一体何故なのか、初めて女性の乳房や乳首を映し出したアメリカ映画は1964年製作のシドニー・ルメット監督作「質屋」であるという言説は実際大嘘であるのか、ウルマーはここではOve H. Sehestedという変名を使っているが何か事情として今作をアメリカ映画とは呼べないのか、正直謎が謎を呼ぶような映画であり、彼にとってほぼ唯一の直球なセクスプロイテーション映画という側面を措いても、ウルマー作品でも1、2を争うほどに特異な作品であることに疑いはなく、そしてそういった未だ未知たる作品がウルマーの歴史には多く眠っているのだろう、そう思わせるほどには「素肌のビーナス」は奇妙で喜ばしい作品だ。「傷物の人生」から遠くへ来たものだ。