グラマーエンジェル危機一髪

曠野に叫ぶのグラマーエンジェル危機一髪のレビュー・感想・評価

曠野に叫ぶ(1921年製作の映画)
2.5
現代の映画においても暴力はつきものであり、未来の映画においても暴力はつきものであろうし、私たちはいつであっても軽薄な暴力、物思いに耽る暴力、娯楽大作としての暴力、インディー映画としての暴力、フレーム内で炸裂する暴力、省略によって想像させる暴力など様々な暴力に晒されているが、そんな例外でなく暴力に麻痺した私も初期のキング・ヴィダー作品における剥き身の暴力には戦慄を覚えざるを得ず、例えば"Bud's Recruit"において白目を剥くまで兄の首を弟が締め続ける、"Wild Oranges"において主人公と野蛮人がヒロインを巡って延々と、永遠と互いを殴り続け周囲の物体全てを破壊する、その容赦なさには驚かされながら、今作においては僻地の村にやってきた牧師が、説教に歯向かってきたカウボーイと冒頭から殴りあいを繰り広げ、こちらが脳髄が陶然となるほどに剥き身の拳を互いにぶつけ合う様はヴィダーの暴力描写でも殊更に壮絶であり、しかし他と一線を画すのはこの暴力が終りを迎えた直後、2人が川辺で再会し、互いの顔にできた傷を労わりあいながら、絆を結ぶという場面が続くからであり、この男性同士のケアというものは、現代映画界において名声を博すに都合の良いテーマとなっている"有害な男性性"から更に一歩進む、男性同士の関係性の複雑さへの注目に値する洞察である、とは言えその冒頭15分を越えると、初期ヴィダー作品の弱点である、男1人と女1人だけがフレームに入ると画面が弛緩する、つまり同性同士の関係性を描かせれば興味深いが、異性同士の関係性を描かせると唐突にやる気のなさが現れる弱点が露骨に現れるゆえに「曠野に叫ぶ」の全体的な評価はそう高くないし、教会炎上場面の白々しい奇跡は、2020年制作のジョージア映画"Beginning"冒頭に比べると何とも苦笑いものだが、サイレント期のヴィダー作品のハイライトとして冒頭の乱闘が屹立するという評価は揺るがない。